ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

はみだしものでかまわない。

あまりにあれこれありすぎて、何をどうすればよいのかよく分からない、そんな時期がしばらく続いていた。雷雨のような数ヶ月だったけれど、決っして乗り越えようとはおもわなかった。そんなときは、そんなときにしかできないことを考えたり、そんなときだか…

東京ベンチの真面目な話。

江戸川区にある瑞江という街に、「東京ベンチ」というブックカフェとデイサービスを融合させた新しいスタイルの場所(ケアブックカフェ)をつくった。職場でもなく家庭でもない、もう一つの居場所(サードプレイス)として、世代や人を選ばない居心地の良い…

東京ベンチの「ベンチ」のこと。

痩せるのはとても大変だけれど、太るのはとても簡単だ。 体質や健康状態にもよるのだろうけれど、これは多くの人にとっての真理なのではないかとおもう。たとえば好きなものを好きなだけ食べて、好きなときに好きな酒を好きなだけ飲んでいると、かなりの割合…

東京ベンチでつかまえて。

ものすごくひさしぶりに書くので、なんだかとても緊張する。と、この一行だけはスラスラ書けたのだけれど、どうにもここから先が進まない。しかたがないので音楽を聴いたり本を読んだりしていたら、窓の外はすっかり暗くなっていた。 時間が経つのは本当に速…

戸越銀座でつかまえて。

仕事のことであれこれ考えなくてはならず、時間はあるのに余裕がない。そういうときは、とにかく好きなものを好きなだけじっくり読む。読んで、読んで、また読み返す。 ついこのあいだ出たばかりの星野博美さんの新刊『戸越銀座でつかまえて』(2013年 朝日…

本当の自分。

夜中からずっと激しい雨が降りつづいている。 明け方、地響きがするような雷鳴と共に子どもたちが泣きだし、目が覚めた。カーテンを少しだけあけて見る窓の向こうは、ふしぎなくらいに黄色な世界。なんとなくこの世の終わりのような、そんな雰囲気の朝から今…

出会いのこと。

2011年3月という、忘れたくても忘れられない年月からスタートした「あいおい古本まつり」は、今年で5回目を数えた。いつもと変わらないように見えるこのイベントも、 運営する側からしてみれば実にいろいろなことがあって、試行錯誤の末の特別な5回目という…

読書という糧。

少し前にも書いたのだけれど、ここ三ヶ月くらい仕事に関する本ばかりを中心に読み漁っている。そういった、目的をもって得るためにする読書というのは、それはそれで楽しく、何らかの糧になっていることをおもって嬉しくもなる。 だけど、そんなとき、一方で…

あいおい納涼祭2013。

イベントの告知ばかりがつづきますが… あいおい文庫の夏といえば、「あいおい古本まつり」と「あいおい納涼祭」のイベント2本立てがすっかり定番となりました。この定番というのはうれしいもので、久しぶりに会った人から「そろそろですね」なんて云われた…

聞くための態度。

話せる人というのは多いけれど、聞ける人というのはそう多くないようにおもう。 哲学者であるモーティマー・アドラーという人の言葉に、『聞くことは主に頭脳の仕事だ。耳ではない。もし、頭脳が聞くという活動に積極的に参加していなかったら、それは「聞く…

第5回あいおい古本まつり。

夏といえば、あいおい古本まつり。5回目となる今回も、トークショーが4本に、フリーペーパーづくりのワークショップ、あいおい句会など、本好き以外の方にもお楽しみいただけるような内容の2日間となっております。どなたさまもお気軽にお越しください。 2…

上善は水の如し。

友人たちと呑んでいたら、座右の銘の話になった。思いのほか座右の銘をもっている人というのは多いようで、有名な格言から初めて耳にするような言葉まで、次々とでてくる。普段は本なんて読まないという友人も、けっこう言葉を大切にしながら生きているんじ…

なまけ者のペース。

永遠も半ばを過ぎたということで、相も変わらず自分の生き方について日々考えをめぐらせている。これでもけっこう真剣にうんうん唸りながら考えているのだけれど、どんなに忙しかったり、実は足掻いたりしていたとしても、ぼくは自分のペースが崩れることを…

待ち合わせは本屋さん。

親しいひとと待ち合わせをするとき、どうぞ決めてくださいと言われれば、ぼくはたいてい最寄りの本屋さんを待ち合わせの場所に指定する。目的地からそう離れていなければ、迷わず古本屋さんにする。ただし、古本屋さんを待ち合わせの場所として決めると、ワ…

永遠も半ばを過ぎて。

永遠も半ばを過ぎて、というのは中島らもさんの言葉だっただろうか。あのころ永遠につづくとおもっていた人生にも、ちゃんと終わりがあるのだと知る程度には、ぼくも大人になったようである。そして、じぶんの人生は大体このくらいまでだろうな、というなん…

死の淵を見た男。

2011年3月11日、東日本を襲った大地震と大津波により、福島第一原発は史上最悪の事故に見舞われた。そんな未曾有の出来事に翻弄されつづける中、使命感と郷土愛に貫かれ、文字通り死を賭して闘う人たちがいた。福島第一原発所長として最前線で指揮を執った吉…

昼の雨。

台風が近づいているとかで、朝からずっと雨が降り続いている。梅雨だというのにまるで雨が降らなかったことをおもえば、恵みの雨、ということになるのかもしれない。とにかくこんな日は、どこへも行かずに寝そべって、雨音を聞きながら本を読むにかぎる。 昼…

息抜きの読書。

おもうところあって、ここ最近は仕事に関する本ばかりを読んでいる。小難しい専門書の類いばかり読んでいると、頭がシビレて朦朧としてくる。むかしに比べて脳みそがだいぶん弱ってきているので、いっぺんにあれこれ詰め込もうとすると身も心もぐったり疲れ…

あいおい文庫の5年間。

「あいおい文庫」という一つの取り組みをはじめてから、もう5年になる。以前にも同じようなことを書いたことがあるのだけれど、もう一度ここで振り返って整理しておかなくてはならない時期にきたので、しっかり書き留めておきたいとおもう。 相生の里のよう…

老いたるえびのうた。

あたたかい日が続いたかとおもえば、急にぐっと冷え込む。衣がえのタイミングがうまくつかめず、気をつけてはいるのだけれど、子どもたちはすぐに体調を崩す。予定していたお出かけはできなくなり、そのことを子どもたちに伝えると、えびのように身体をくね…

松井秀喜さんのこと。

松井さんの悪口を言ったり、彼のことを嫌いだという人とは、おそらく友だちになれないとおもう。もちろん会ったことも、話したこともないのだけれど、それでもそう言わしめる何かが、この人にはある。 お手本となるような生き方をしている人、尊敬できる人、…

ここんとこ読んだ本(三)。

ここんとこ読んだ本で、こころにおちた本シリーズ。 「想像ラジオ」いとうせいこう 著(2013年 河出書房新社) 「長く働いてきた人の言葉」北尾トロ 著(2013年 飛鳥新社) 「眺めのいい人」伊集院静 著(2013年 文藝春秋) 「独学でよかった」佐藤忠男 著(…

ゴールデンウィーク。

今年のゴールデンウィークは二日間だけ休んだ。 どこへ行ったのかといえば、どこへも行っていない。 草野球をして、バーベキューをして、酒を呑んで、本を読んで、音楽を聴いて、映画を観て、ゴロゴロした。いつもと大してかわらない生活範囲で、大してかわ…

プロの仕事。

ぼくの職場には、よく研修生さんたちがくる。研修を終えた彼らの反省会をするとき、ぼくは必ず「プロとアマの違い」について訊ねてみる。人によって「プロ」についての捉え方はまちまちだけれど、その答えの多くをまとめてみると大体こんなふうになる。「要…

夕方の三十分。

うちの子どもたち、上から2年生、1年生、2歳半になる。このくらいになると、だいぶん生意気なことをいう。そろいもそろって生意気なことをいう。あんまり生意気なので、生意気いうなと叱る。歯向かってはくるものの、けっきょく大泣きすることになる。そ…

スモーキー・マウンテン。

子どもに何かを伝えるというのはとても難しい。十分に気をつけていないと、親の価値観によって事実が歪曲して伝わったり、ものの見方が偏って伝わってしまうということもあるだろう。たとえば、それがよいことなのか悪いことなのかよくわからないのだけれど…

救いのない物語。

夜を徹して本を読んだ。ほんとうに久しぶりのこと。眠れない夜に読んだり、彼は誰時に目覚めて読んだり、そうして迎えざるを得ない夜に読むことはあるけれど、ページを繰る手が止まらない夜というのはここのところずっとなかった。明日があるから、そんなふ…

棚に色をつける。

あいおい文庫の棚に、少しずつ色をつけはじめた。といっても棚にペンキを塗っているわけではなく、あいおい文庫らしい棚をつくるために、本を選んで並べ方を変えることにしたのだ。仕事の合間を縫ってのひとり仕事なので、ほんとうに少しずつなのだけれど、…

野球観戦。

きのう、数ヶ月ぶりに神宮球場までナイターを観に行った。 球場に足を運べば何かが変わるようなそんな期待も込めていったのだけれど、結果的には何も変わっていないし、何かを得たという実感もない。けれども、球場で野球を観るというのはやっぱりいいものだ…

イップス。

イップスという言葉を、ついさっきネットで知った。これは精神的な原因などによりスポーツの動作に支障をきたし、筋肉や神経細胞、脳細胞にまで影響を及ぼす運動障害のことをいうらしい。集中すべき場面でプレッシャーにより極度な緊張が生じ、普段なら何も…