ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

ライスカレー。

昨日がカレーだったので、きっと今晩もカレーライスだ。もしくはカレーうどん。わが家ではカレーはつづくものと相場が決まっている。他のメニューであれば文句を云いたくなるところだけれど、カレーなら許せてしまう。そして決まって二日目のカレーのほうが…

ファスナー。

ミスチルの歌にもあるけれど、ウルトラマンのそれのように、ひとの背中にはファスナーが付いていて、どこか奥のほうで見たり感じたりしているもう一人の自分がいるんじゃないかと、ずっとおもっていた。 子どものころ、情意作用というのは自分とそのなかに住…

婆さん子。

おとついの息子の入学式をきっかけに、子どもの成長のことなどをあれこれ考えていたら、ふと川崎長太郎の随筆を思い出し、心の隅っこのほうに引っかかっていた一文がどこかにあったはずだと探しはじめた。それがなんだったのか思い出せないまま盲滅法に探し…

節目のだいじ。

今日は長男の入学式。いまだに寝小便はたれるし、すぐにグズグズ泣くし、甘えん坊だしで、年がら年中お小言をもらっている彼も、もう一年生である。 子をもつようになると、こういった節目節目が妙にうれしい。自分の時はめんどうだとしかおもったことがなか…

生活のたしなみ。

性格は顔に出る、生活は体型に出る、本音は仕草に出る、感情は声に出る、センスは服に出る、美意識は爪に出る、清潔感は髪に出る、落ち着きのなさは足に出る。 だれが考えたのだか知らないけれど、これは言い得て妙だなあとおもう。ふと気をゆるめた隙に、内…

心の鍛え方。

たいてい週末は家族と一緒に近所のスーパーマーケットへ行く。ここには大きめの書店が入っているので、買い物の前か後にはそこで本を立ち読みすることが多い、というかそのために行くようなところもある。今日もそこで気になる本を見つけ、しばし時間を忘れ…

生活の展開。

数ヶ月前、近所のブックオフで「小林秀雄全作品1 様々なる意匠」を見つけ、行くたびに買おうかどうかと迷っていたのだけれど、没後三十年特集などを読んでいたら無性に欲しくなってきた。さて、いざ買おうと決心してお店に行ってみると、いつもあったはずの…

リディア・デイヴィスを読む。

興味さえあれば古い新しいにかかわらずどんな本でも買って読むのだけれど、小説に関しては古本で買うことのほうが多い。それは古本でしか買うことのできない本であったり、その時代のよさを感じられるような本が欲しかったりするからなのだけれど、あまり最…

絶不調な一日と映画。

好不調の波みたいなものがあるのだとすれば、最近は絶不調であるような気がする。体調のことではなく、また特別なにがどうこうというわけでもなく、全体的になんとなく低調気味といった感じ。どちらかというと、年が明けてから心機一転いい調子だっただけに…

ペソアの詩集。

ここ一週間ほどひどく体調がわるく、本を読むことさえもままならないような日が二日ほど続いた。病院に行っていくつかのつらい検査をしてきたのだけれど、とりあえず大事に至るようなことはないらしく、安堵した。どうなったっていいようなものだけれど、子…

物語のこと。

友人が最愛の奥さんを失くした。亡くなった奥さんは、ぼくの友人でもあった。子どももまだ小さく、これからというときなのに、彼女は憎き病魔に冒されこの世を去った。なんでわたしが、といって泣き崩れる彼女を支える友人もまた、よりによってなんでうちが…

シャッターチャンス。

ここのところ、写真を撮ることに凝っている。 ファインダー越しに世界を覗くと、すべてのことは過去になっていくものなのだと、リアルに感じることができる。さっきまでここにあったはずの現在(いま)はもうどこにもなくて、まるで車窓から眺める景色のよう…

読み書きのこと。(三)

狂ったように古本ばかりを買い漁っていた時期があったけれど、ここのところはそれもずいぶんと落ち着いてきた。狂ったように、というのは文字通り狂っているとしか思えないような行動のことを意味し、ここに書くことも憚られるくらい古本屋に通いつめていた…

読み書きのこと。(二)

ぼくは「話す」ということが苦手だ。誰かにこれを伝えたい、と思うことは多々あるのだけれど、それを話して伝えるとなるとたちまち萎んでしまう。 話すことで言葉を放してしまうと、放された言葉たちがカタチにならずに空中を彷徨っているイメージが頭に浮か…

読み書きのこと。

このブログを書きはじめて、ちょうど2年になる。 何事においても飽きっぽいはずの自分が2年間もこうして続けられているというのは、やっぱり好きだからなのだろうとおもう。読むこと、書くこと、それらが目に見えるカタチでたまっていくということが。読み…

一日の長さ。

ここのところ、一日がひどく長く感じられる。 ついこのあいだまでは一日があっというまに終わってしまい、ひどく短く感じられていたのに。といっても、時間の流れが遅遅として進まないから退屈している、というわけではない。たっぷりと時間があるので、仕事…

再会と再生。

一方的な身勝手さで10年以上連絡をとっていなかった親友と再会した。 そのきっかけは途轍もなく切ないものだったのだけれど、しかしそうでなければ再会はなかったかもしれないとも思い、筆紙に尽くし難い複雑な心もちになる。 正直なところ、10年という…

じかんのはなし。

雪雲に覆われた暗澹たる思いに雪は降り積もり、追い討ちをかけるかの如く白銀の煌めきと静寂が世界を奪う。そんな数年ぶりの大雪に、ひねもすのたりと本が読みたくなった。きっと本が好きなひとにならわかってもらえるとおもうのだけれど、しんしんと降り積…

本と別れる時のマナー。

まだ正月気分がぬけきらず、どこか気持ちが浮ついている。昔から場面のスイッチをするのがヘタクソで、そのせいか周囲からとりのこされてしまうことがしばしばあった。それでも子どもの頃はまだよかったのだけれど、社会人となった今はいつまでもそんなこと…

セルフコントロール。

今年の正月は、ひたすらダラケた。まあ、毎年といえば毎年なのだけれど、朝から呑んで、食べて、映画をみて、本を読んで、音楽を聴いた。子どもたちは犬のように外を駆け回り、ぼくと連れ合いは猫のようにコタツでまるくなっていた。 正月の読書は、スポーツ…

成長。

年の瀬の雰囲気をなんとなく感じはじめたかとおもえば、あと一日で今年ももう終わりだそうです。気がつけば、あっというまの一年でした。 今年もたくさんの仲間たちに支えられて元気をいただき、たくさんの本たちから知恵と勇気をもらい、お蔭様でなんとかぼ…

冬と本の科学反応。

ついこのあいだ買ったばかりの、「冬」と「本」という二つのキーワードからなるアンソロジー『冬の本』(2012年 夏葉社)が想像以上によかった。一度読み終えてからも身近なところに置き、パラパラと頁をめくっては無作為にひらいたところを再読している。お…

想像力について。

ここのところ、想像する、ということについてよく考える。 小さい頃、あれこれ想像してみることが大好きで、ひとり想像の世界に遊んでいた。想像することは自由だし、その世界における可能性は無限大にある。現実と可能性が世界の内にあるのか外にあるのかな…

旅のツヅキ。

京都のdecoさんから、『DECO・CHAT vol.2 旅のツヅキ』(2012年 deco社)が届いた。本と旅を愛するひとのためのリトルプレス。 届いたフウトウはすぐに開けずに両手で持って、中に入っている本を思い描き、まずはドキドキに身をゆだねる。そのままフウトウに…

志賀直哉と一疋の蜂。

仕事の関係で、死をテーマにした話を人前ですることがある。 つい先ごろにもそんな話をする機会があって、その参考資料として志賀直哉の「城の崎にて」の一部を引用した。正宗白鳥や高見順の書いたものにもとてもいい一節があるのだけれど、ぼくにとって死を…

本の皮むき。

ついこのあいだの話。 皮むいてから読むの、といって娘は本のカバーを次々に外し、片っぱしから本をまるはだかにする。購入した本の表紙に書店がかけてくれるカバーのことを書皮と呼ぶのだから、皮をむくという表現もあながち間違いではないのだろうけれど、…

古本と金沢。

一泊二日の出張で、金沢に行ってきた。前日入りしての旅なので、夕方からの吞み会までたっぷり半日はフリーな時間がある。せっかく金沢に行くなら、これはあそこに行くしかない。金沢といえば、あそこ。一人ひそやかに笑いながら、旅のおとも本をえらぶ。さ…

夢の共演。

年末が近づくと、「夢の共演」と銘打ったテレビ番組が多くなる、ような気がする。其処彼処に転がっているような共演ではなく、夢の共演。普段はあまりテレビを見ないぼくでさえも、夢の共演という言葉には胸が躍る。ぜったいに見たいし、ぜったいに聴きたい…

冬がキライなわけ。

冬はキライだ。ろくなことがない。 読書の秋とか食欲の秋とかいうけれど、秋から冬にかわったばかりのこの時期も、まだまだ身体は書物と食物を欲している。読んでも、読んでも、読みたりない。がしがし読んでも読みたりない。ちゃんと食べているのに、ちゃん…

オリーヴ・キタリッジの生活。

なんどいっても子どもがおもちゃを片付けずイライラする。チームワークを無視し続ける仲間に失望する。何食わぬ顔で割り込み乗車をする中年女。ちいさなつまずき、些細な言動、たっぷり寝たはずなのに疲れがとれない。そんなときに子どもがくれる、「パパす…