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ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

「レンブラントの帽子」のこと。

これは、あいおい文庫で発行していた「あいおい文庫通信」(ホームページにも)に載せていた「レンブラントの帽子/バーナード・マラマッド 著」の紹介文。夏葉社さんがこの本を出してくれたことで、僕はマラマッドの小説を初めて知り、そして手に取って読むことができた。その後、書店で別の作品集を一冊買い、古本屋さんでも2冊買った(これはかなり探しまわったのだが、最終的に均一台で見つけた)。とにかく、圧倒的に僕の心に沁み過ぎてしまったのだ。沁み過ぎてしまった以上は、僕の中にある「DJ心」の疼きをとめられない。とにもかくにも誰かに伝えたくて、伝えたくて…ということで、このブログにももう一回書いちゃおうっと。

レンブラントの帽子

レンブラントの帽子

現代人がストレスに感じることの多くは、その背景に「人間関係の困難さ」が潜んでいる。人は生きていく上で(社会生活を営む上で)、人と人との繋がり…つまり、自分以外の誰かに意思を伝達する術(言い換えると、嫌いな言葉だが「コミュニケーション能力」)が問われることとなる。

この物語に出てくる登場人物たちは、それぞれが「人間関係の困難さ」で躓き、己のコミュニケーション能力について深く悩む。どっぷりと深く繰り返し悩み、(笑っちゃいけないが)笑っちゃうほどにクヨクヨする。その姿は実に人間らしい。そう、ここに登場する人物たちは「読み手の姿」でもあり、「ありふれた人生そのもの」なのである。

ある日とつぜん、今まで笑って話していた仲間が自分を避ける。すると避けられていることに腹を立て、自分も相手を避けるようになる。お互いに怒って避けあっているのだが、実は辛い。「なんで怒っているのかな?」と、「怒りの地雷」を探す。直前の会話を思い出し、何が地雷だったのかと考える。考えているうちに、相手の立場に立つようになり、相手の気持ちを想像するようになる。


人間は、乱暴な言い方をすれば「言葉の生き物」である。コミュニケーションの多くを言葉に頼りすぎるため、かえって言葉に縛られて不自由することが多い。不自由が故にちょっとした言葉の行き違いからトラブルとなり、そこから派生する原因を必死に究明しようとする…が、原因はそこにはなかったりするのだ。


この物語の登場人物たちは、このような人間らしい失敗で右往左往するのだが、相手の気持ちを想像し始めたあたりから、「相手を受容する」に至る。相手を受け入れることで、登場人物たちの関係にどのような変化が訪れるのか…それは読んでのお楽しみ。
相手を思いやるという本当の人間らしさに胸を打たれ、何度も何度も読み返したくなる、そんな愛おしい小説です。


大好きです、マラマッド。そして、夏葉社さん、ありがとう。