ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

「身体のいいなり」のこと。

先日テレビを観ていたら、「緊張するとなぜ手足に汗をかくのか?」というような内容の番組をやっていた。ぼんやりと観ていたら、どうやらこれは身を護るために無意識下に身体が反応しているということらしい。


人はどんな時に緊張するのかというと…たぶん、その人にとっての「窮地」に立たされた時なのではないだろうか。たとえば、道でライオンに出くわしたとする。たとえば…ね。これはおもいっきり窮地だ。おそらく「逃げる。」か「やむなく戦う。」のどちらかの選択をしなくてはならないだろう。そのとき、逃げるために足の裏が適度に湿っていなくてはしっかりと走れない。また、掌が乾いていては、戦うために掴んだ棒切れが何かの拍子に掌から抜けて飛んでいってしまうかもしれない。だから身を護るために身体は発汗という命令を出すのだそうだ。そう考えてみると、身体というのは実に面白い反応を随所で見せる。梅干を想像しただけで唾液が出てくるし、寒かったり寒い言葉を言ったり聞いたりすると鳥肌が立つ。これら身体の反応には全て理由があって、梅干を想像したときに出る「刺激唾液」には様々な酵素が含まれていて身体をサビさせる活性酵素をやっつけてくれるし、寒いときに鳥肌が立つのは皮膚の毛穴が強く閉じられて硬くなり寒さから身を護ったりしているのだ。ふだん何気なく起こっている身体の変化には、実はこんな風に立派な意味があって、感謝してもし足りないくらいに毎日僕らを護ってくれている。


僕の本業である相談員という仕事をしていると、「こんな身体なんて…」という自分の身体に対する否定的な言葉を口にする人が窓口にくるケースというのが意外に少なくないと分かる。でも、「こんな身体」と貶した身体は、そのうち貶したようにしか反応を見せなくなるのではないだろうかと心配になる。だって先にも書いた通り、身体は言葉や想像にかなり反応しているのだ。「病は気から」と昔からいうが、本当にそうだと思う。マイナス思考の人は精神と身体のバランスを崩しやすい。だから、いつも自分を護ってくれている身体に「ご苦労さま」「いつもありがとうね」と感謝しながら「いい状態」をイメージすることは、実は健康に過ごすための一番の近道だったりするのではないだろうかと思う。


内澤旬子さんの著書『身体のいいなり』(朝日新聞出版)という本を読むと、病をきっかけに人が変わっていく様子がよくわかる。実際にお会いしたことはないけれど、この本から受けるイメージだととっても繊細な方のようだ。そしてとっても気を遣って頑張ってしまう方という印象を受ける(まるっきり違うかもしれないし、こんなこと赤の他人に勝手に書かれるのは不本意でしょうけど…)。「頑張る」というのはいいことでもあるのだけれど、分解してみると、“頑”(自分を主張して他人の説を聞き入れない)と“張る”(自分を大きく見せようとすること)とに分けられる。どちらの文字を見ても気負って構えなくてはならないのに、それが合体したこの言葉は見ているだけで疲れてしまう。この疲れてしまう生き方は、実はけっこう万病の元でもあったりする。

身体のいいなり

身体のいいなり

『身体のいいなり』を読んでいて感じたのは、健康な時には気づけなかった、病を抱えたがための「出逢い」というものがあるということ。それは、結果として自分を見つめなおしたり解きほぐしたりするきっかけを見つけていくことになる。著者は、病院で会った人のあたたかい一言や、ヨガによる精神と肉体の改造(開放?)によって、どんどん全身状態が好くなっていく。しょせんは人なんて「身体のいいなり」だ。そもそも身体を好きなように操ろうなどと考えることが間違いなのかもしれない。そんなことをすれば思うようにならず逆に身体に振り回されるのがオチだろう。でも、きっかけ一つで、気の持ちよう一つで、身体はちっぽけな自分をきちんと護ってくれようとするのだ。そこに気づくことで「頑張る」とか「こうでなくてはならない」という万病の呪縛からようやく開放されるものなのかもしれない。この本は、健康な人も、具合の悪い人も、老若男女たくさんの人に読んで欲しい一冊だ。あっけらかんとしつつも深く感動すること間違いない。


自分自身と最後の最期まで一緒にいてくれるのは、「自分のこの身体」だけだ。良くも悪くも死ぬまで離れられない腐れ縁なのだ。だったら、よい付き合いをしたいな…と僕は思う。