読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

「看取る」ということ。

これは、一年くらい前に「相生の里」で暮らしていたおばあちゃんと、ここで働くぼくたちスタッフのやり取りを、読みものとしてまとめたものです。
施設で暮らすということ、人が最期を迎えるということ、家族が看取るということ、そんなことを意識しながら書いてみました。拙い文章ですが、ここからなにか少しでも伝えられるようなことがあれば…うれしいです。


「バカベコ!」食事介助のため私が「まさゑさん」の隣に座ると、突然大きな声でそう叫ばれた。4人掛けのテーブルを独り占めしているまさゑさんの食事は、ミキサー食。スプーンで少しずつ口に運ぶのだが、気に入らないと一切召し上がらない。少し時間をおこうと思ってその場を離れると、「おねェーさん!こっち来て!」と大きな声で呼ばれる。それではと再度介助に入ると「あっちへ行け!」と怒鳴られる。「少しでも食事を摂ってもらいたい」そんな思いでしばらく隣に座って待ってみる。すると、ジーッと私の顔を見てからハッキリした口調で、「あんた何歳?子供は何人?」と訊かれた。それに答えると、おもむろに私の手を取る。「何かな?」と期待したとたんに、おもいっきり爪を立ててつねられた。「痛たたたっ!」
これが、私とまさゑさんとの最初の出会いであった。周りの職員を見ると、腕や顔がひっかき傷とつねられた痕で赤く腫れている。それでも皆、まさゑさんのことが大好きなのだ。だから、毎日毎日こういったやり取りを職員全員が根気よく繰り返してきた。これって人徳?


食事を摂れない日が多いため、まさゑさんの好みそうな高カロリーのゼリーを用意した。それをカップに入れて、できるだけ口から栄養を摂ってもらえるように根気よくスプーンで口へ運ぶ。しかし、まさゑさんに振り払われた私の手から、無常にもカップやスプーンは宙を舞い、ゼリーは床に散乱する。試行錯誤を続けるが、やはりほとんど栄養が摂れない。当然身体は日に日に痩せていく。どうしたらよいのか悩み、どうなってしまうのか不安でたまらない毎日だった。


そのような光景を、傍らでニコニコと笑顔で見ておられる方がいた。まさゑさんの息子さんである。「母を看るのは大変でしょうが、好きにさせてあげて下さい」そう言って、息子さんはまさゑさんと5人の子ども達との話をしてくれた。戦争でご主人を亡くされ大変な時代を女手ひとつで育てたこと。泣き言ひとつ言わない気丈で厳しい、そして優しい母親だったこと。子どもたちが独立したあと、一人故郷の山梨で家や畑を守りながら生きてきたことなど…。そんなまさゑさんの最期の願いは、「故郷である山梨県で死にたい」ということだった。私にそう話しながら、まさゑさんの手をしっかりと握る息子さんと、その手を母の顔になって優しく握り返したまさゑさん。私たち職員は、「相生の里に来てよかった」と最期に思ってもらえるようなお手伝いをしようと、さらに固く固く誓った。


相変わらず食事が摂れない日が続き、眠っている時間が多くなるまさゑさん。医師からも周囲の関係者からも自然と「ターミナル(看取り)」という言葉が出るようになった。「枯れるように眠るように逝かせてやりたい」という息子さんの想いを大切にしながら、関係者による慎重な話し合いの場を重ね、ここ相生の里での本格的なターミナル・ケアを開始することとなった。


私にとって初めてのターミナル・ケアということで、いいようのない不安と恐怖が心を蝕む。カンファレンスでも、そんな不安や混乱を直にぶつけて議論を繰り返した。そういった繰り返しのやり取りから、まさゑさんやご家族の意向に添えるような「よりよい支援の形」を模索し、スタッフ全員が気持ちを一つにしていった。
毎日が不安とプレッシャーで一杯の日々。「ターミナル」という言葉に押し潰されそうになる。そんな時、ご家族からのあたたかい言葉で何度救われたことだろう。「母は、ここ相生の里で生活できて良かった。いつも一生懸命母と向き合ってくれてありがとう」というあたたかい言葉。時には折れそうになる心を、この言葉、この気持ちに支えられたのだ。疲れた心の特効薬…。


亡くなる前の数日間、ご家族は施設に頻繁に訪れ、泊まりこみ、片時も離れずにまさゑさんの手を取り身体をさすりながら、「お母さん、育ててくれてありがとう。がんばってくれて、ありがとう」と語りかけていた。まさゑさんが一番大切にし、そして最後まで守りぬいた、「家族の絆」がそこには確かにあったように思う。その見えない絆は、私たちスタッフの心をも繋ぎとめた。


余命宣告で「もって、あと数日」と医師から告げられ、いよいよ故郷である山梨県への帰省となった。身体の状態や搬送距離、到着までかかる時間を考えれば、それがどれほど危険でリスクの高い選択なのか心が揺れた。が、「思い出の詰まった、親子寄りそって暮らした、あの山梨の家で最期を迎えたい」というまさゑさんの気持ちと、忠実にその願いを叶えてあげたいというご家族の気持ちの前では、余計な心配であった。山梨県には、看護師同乗で介護タクシーを利用して向かった。無事に山梨県に着いたと連絡を受けた時には、嬉しくて、ホッとして、おもわず涙がこぼれた。そしてその日の夜、山梨の大自然の中で、まさゑさんは会いたかったご近所の方々と、なによりも大切な子どもたちに見守られ、とても静かに永遠の眠りについたとのこと。


まさゑさんに対して、本当に十分な支援ができたのだろうか?本当にこれでよかったのだろうか?言い出せばきりがないが、まさゑさんと向き合ったことで、今現在ここで暮らす人たちに対しても、「ここ(相生の里)に来られてよかった」と思っていただけるような支援をしていきたいと自然に思えるようになった。「ここの職員は、みんな気持ちがあるね!」最後の最後に息子さんからいただいたその言葉を胸に…。


ところで、「バカベコ」ってどんな意味ですか?と息子さんに訊いてみた。すると、「それは、バカべコではなくバカビクと言っているのでは?」とのこと。山梨では馬鹿女っていう意味ですけど、と笑いながら話す息子さん。「えっ?馬鹿女?」と、うろたえる私。でも、きっとあの言葉は私たち介護職に対して、「あんたたち、しっかりしなさいよ!」と喝を入れてくれる、厳しくも優しいお母さんの声だったのではないだろうか。まさゑさん、どうか安らかに…いや、まさゑさんは天国でもきっと元気いっぱい大きな声で、みんなに喝を入れていることだろう。


出逢えたことに感謝。「ありがとうございました」(合掌)