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ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

出久根さんと「縁」のこと。

やっとお会いすることができた。


そもそも、ぼくが佃島で仕事をするきっかけとなったのは…。


初対面の印象は、とっても気さくな方で「近所のオジサン」という印象だった。会話の空白に戸惑うということがなかった。沈黙をつくらない人柄とスキル。本で読んだ印象とまったく変わらない方だった。身振り手振りが大きくて、話をする時には目を開けているのか瞑っているのかよく分からない。そして、開口一番の言葉は…


「ありがとう。」


ほぼ同時に口にしていた。


心に沁みる「ありがとう」だった。


その瞬間、ぼくは出久根達郎さんのことがより好きになった。「お会いできてよかったなあ」と心から思った。


会いたい人に会えるという奇跡…それは決して当たり前なことではない。「縁」という奇跡に感謝。


ぼくは本が好きだ。「物語」が好きで小説を愛する。つまり、「人」と「人の周辺」が好きなのだ。


人と人との間には、必ず「縁」が生じる。人間は、良くも悪くも「人と人との間」でしか生きることができない。そこで生まれた「縁」をどう受け止め、どう生かすかは、各々の心もち次第だ。


出久根さんの著書を読むと、本にまつわる「縁」に関する物語が多いことに気づく。


今回の『あいおい古本市』で話してくださった《本の数だけ学校がある》でも、終始「縁」についての話をされていた。文雅堂での修行時代に、出久根さんが主人の高橋太一さんから受けた言葉「本の数だけ学校がある」はとても深い。今の出久根さんを形成する要素がこの言葉に凝縮されている。まさに「縁」。ここから派生する話は、出久根さんのファンなら「あの話だな」と分かるお馴染みの物語。先人の息吹を伝える古書の魅力。本によって繋がる人の歴史。本と人をこよなく愛する出久根さんの「等身大の言葉」で紡がれる、あっという間の2時間だった。


出久根さんは、地震津波による東北地方の壊滅的な被害のことで深く心を痛め、今回の出演の意義についても深く悩んでいた。悩んで悩んで悩んだ末に、「このような状況の中にあって自分の話を聴きにきてくれる人が一人でもいるのであれば、もしそれが何かの役に立つのであれば、ぜひ協力したい」と出演を決めてくださった。そんな出久根さんの真摯な気持ちは、きっと聴きにきてくださったお客さん一人ひとりの心にも確実に届いたことだろうと思う。


人のオモイが込められた本を人が綴り、その綴られたオモイを人が読み、読まれた書物は次の世代へと引き継がれ、古書としてぼくたちの手元に落ちる。人の元へ落ちた書物は、やっぱり人の心へ何かを落とし、過去から未来へ、先人から子孫へと確かに継がれていくのである。


本気で何かを学びたいと願うのであれば、実はすぐ手の届くところに学び舎はあって、いつだって大きく手を広げて待っていてくれるのだ。新しいインクの匂いのする清々しい新刊書から、あたたかくて懐かしい日向の匂いのする古書まで、ぼくらが望めばいつだって「本」は迎え入れてくれるのだ。


「本の数だけ学校がある」


出久根さんの受け継いだその言葉は、より大きな意味をもつ波紋となって、聴く者の心に拡がっていったのではないだろうか。


佃島に来てよかった。心からそう思う。