ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

書痴。

せっせと本を買ってはためこんでいるぼくの姿をみて、本に興味のない友人は「うちの犬みたい」と揶揄する。せめて栗鼠と云ってもらいたいものだ。


読書家というよりも愛書家に近いぼくの場合、まるで習性のように本をためこむ。なんだってこんなに本を買う必要があるのかと自分に呆れることがある。どれだけ考えてみても理由はよく分からない。かといって書痴(ビブリオマニア)というほどのこだわりはなく、身の丈にあった買い物しかしない。ましてや高価な本を手に入れる悦びに酔いしれるようなこともない…まあ、お金があったら買うけど。それなのに周囲からはスリッパをしまいこむ犬のように思われ、家族からも小さなバッシングを受けるのである。ぼくの基準と周囲の基準には少々ギャップがあるようだが、少なくとも自分では書痴と云われるほどやられちゃってはいないと思っている。


書痴と云うキーワードで思い出すのは、斎藤昌三岩佐東一郎である。斎藤昌三の本で欲しいものは値が張るので今は諦めているが、岩佐についてはウェッジ文庫で「書痴半代記」が文庫化されたので愛読書の一冊となった。ウェッジ文庫が絶版となってしまった今、古本が好きな人はぜひ早めに手に入れておくべき本だと思う。

書痴半代記 (ウェッジ文庫)

書痴半代記 (ウェッジ文庫)

気に入った作品に出会うと他の作品も読みたくなるのが人の常…古本者の常。が、この手の「愛書家にとってビンゴな古書」は、ご多分に漏れず高価であり、今は諦めざるを得ない。
岩佐東一郎は、詩人で随筆家ビブリオマニア。古本者にとって滋養たっぷりでいい文章を書く、垂涎の書き手だ。そんな尽きせぬ滋養に充ちたこの随筆集の中でも、武井武雄が「書痴」はいやな言葉だから「書鬼」と云いたい、という随筆「書痴と道楽」が好きだ。武井に対して水曜荘酒井徳男が「書記長」みたいでいやだと反論するところがまたバカバカしくて笑える。
岩佐は、懐かしい限定本を見ては涙ぐみ、読んで楽しく、見て楽しく、手に持ってもまた楽しいのが限定本の特色だといってのける。これぞ書痴の道楽だと。このロジックで云うならば、ぼくは間違いなく書痴になる。書痴…


やっぱり書痴はいやだなあ…書鬼もいやだけど。飄々と蒐集したい。