居場所。
居場所というのはとても大切で、あるかないかで人の生き様は大きく変わる。
生きとし生けるものは、居場所を求める。
確かな手応えとして居場所を感じることができなければ、生きていることに絶望すら覚えることがある。
最後の最期まで、人は居場所を求める。
佐藤泰志の小説を読んでいると、どの作品にも「居場所」が強く印象として残る。
重くて、青くて、痛い、純文学…いや、むしろ冒険小説と呼ぶべきか。
文庫版「黄金の服」の解説を久世朋子さんが書いているのだが、やはり居場所を強く意識して読んでいたようだ。解説というよりもエッセイとしてしっかり読み応えのある文章で、タイトル「鞴(ふいご)の音」とはよくいったものだ。読めば分かるが、これだけでも十分に価値ある一冊となっている。
- 作者: 佐藤泰志
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2011/05/10
- メディア: 文庫
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自分の居場所が定まらないと、人は…少なくともぼくは、様々な感情に押し潰されそうになる。
だから、必死で居場所を探す。
唐突に怒りがわいてきて、嘆きにかわることもある。
若い頃なら青くさいアイデンティティの獲得、中年以降なら見苦しい負け犬か。
泳いで、酔っ払って、泳いで、酔っ払って、さて、明後日はどうするのかな…。
人生なんて、そんなもんだ。
青くさくて、見苦しくて、明後日も見えない。だからなんだっていうのだ。
それでも、生きていればなんとなく見えてくるものもある。
居場所は何処にあるのだろう。
人を貶めても、媚びても、自分を棚にあげても、答えはうまく見つからない。
居場所は何処にあるのだろう。
たった41年間の人生でその答えを諦めた、佐藤泰志。
彼の遺した小説と、彼の生きた41年間の軌跡は、果たして符合するのだろうか。
ふと胸に手を当ててみると、規則正しい確かな鼓動を感じることができる。
確かに感じるリアルな感覚。
たしかに ぼくは ここにいる。