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ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

職人さんのこと。

職人の書いた本、または職人について書かれた本などが好きでよく読んでいる。
中でも手仕事の技や美風などについて書かれたものが好きで、語り継がれる「伝統」の妙味がひしひしと伝わるものがいい。でも一番の魅力は、なんといってもそこに描きだされる、「職人という生き様」に尽きる。


竹田米吉さんの書いた「職人(昭和33年 工作社)」は、タイトルにある通り職人について書かれたエッセイなのだが、東京神田の棟梁であった父親から聞いた江戸職人の話と自身の体験とがあいまって滋味深い。身近な人たちのまったく知らない世界が気風よく粋に書かれていて歯切れよい。大工の親爺から酒でも呑みながら聞いているような楽しさがある。職人らしい職人のいない時代に生まれたぼくにとってはカッコイイ世界であり、敷居の高いコワイ世界でもある。根性なしには堪えられないという比喩で「職人の世界」なんて使ったりするくらい、それはそれはキビシイ世界でもある…ようだ。

職人 (中公文庫)

職人 (中公文庫)

同じ職人について書かれた本でも、西洋となるとちょっと違う。粋というよりもシックだ。ぼくが繰り返し読んでいる、大好きな西洋の職人ものに『古書修復の愉しみ/アニー・トレメル・ウィルコックス 著(2004年 白水社)』というのがある。職人ものプラス古書とあったら、もう買わずにはいられない。


触れただけでぼろぼろと崩れそうな古くて貴重な書物を丹念に修復していく「製本家・書籍修復家」という職人に弟子入りした著者の成長していく過程を綴った自伝的物語。ブック・デザイナーの栃折久美子さんの著書と同じような面白さがあるのだが、古書という知的財産を護り、人の想いや先人の息吹を保存し、次の世代にバトンタッチしたいという職人の信念とこだわりが加わって面白味により厚みを増している。

古書修復の愉しみ

古書修復の愉しみ

書籍修復家。日本では耳覚えのない言葉だ。古本屋さんが売るために本の修理をしたり、空想製本屋さんのように大切な本を素敵な本に仕立てる、仕立て直すということはあっても、書籍修復家という肩書だけで飯を食っている人はあまり聞かない。聞かないが、それに近い人がいることはいる。フリーの紙本保存修復家という肩書をもつ坂本雅美さん。一枚ものの紙本に特化して修復しているらしく、書籍修復家というのとはまた少し違うようだが、究極の紙フェチで紙を愛して止まない姿勢、そしてなにより後世に残したいと強く願う職人のポリシーは一緒だ。


少し話は逸れるが、書物に対する価値観の違いみたいなものが、日本と西洋との間にはあるような気がする。「子供より古書を大事と思いたい」の鹿島茂さんの本などを読んでいても、書物に対する愛情は日本だって負けてはいないのだが、一冊の本(こだわりの装幀)に費やす金額には大きな開きがある。もちろん金をかければいいというわけではないが、金をかけてでも本を最高のパートナーに仕立てたいという気概には感服する。ペーパーバックしか読まないような人たちを除いたマニアの話だけど。


一本筋の入った頑な人。偏屈なんだけど実直で、いったん仕事となったらのめり込むように取り組む人。そんな「職人かたぎな人」は現代にもいる。だけど、地味な手仕事を派手にやれるような職人さんというのは見かけなくなった。最後の…といわれてしまうような、灯台守的に伝統を静かに守り続ける職人さんが僅かにいるくらいか。粋でいなせに仕事をやれる大人がいなくなってしまったのだろうか。もっとリアルな問題か。ニーズがあるかないか、食えるか食えないか。いつか「職人」という言葉さえも失われてしまうのだろうか。


職人のいない時代に職人について書かれた本を読むことは、得るために失われてきたものが何であったのかと考えさせられる。懐古趣味とか、ノスタルジアとか、そんな軽い一言では片付けられない「重さ」が確かにここにはある。
最後に坂本さんの名言を。


直す人がいるからではなく、残そうとする人、つまり保存しようとする人がいるから作品は残るんです。