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ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

山之口貘を買う。

沖縄で暮らしていた頃、ぼくはBOOKSじのんという古本屋さんによく入り浸っていた。家から歩いて10分ほどのところだったので、ほぼ毎日のように通っては1時間くらいウロウロして古本を買い漁っていた。広い店内にはシブめの文芸書や定番の人文書がしっかりと並び、なおかつ良心的な値付けときている。お財布に優しくて心を満たしてくれる、ぼく好みの素敵な古本屋さんだった。


このお店の一番の特色は、沖縄・奄美関連の本ばかり集められたコーナーが半端なく充実している点にある。そこだけがまるで別世界のように「雰囲気」をもっている。なにか触れてはいけないウチナーンチュの魂に触れてしまうようで、最初の頃はコーナーの前でタジタジしてしまったくらいだ。
しばらく通ううちにようやくその別世界にも踏み込めるようになり、ぼくはそこで初めてその本に出逢った。山之口貘詩集。ぼくはあまり詩に詳しくないため、恥ずかしながら山之口貘という名前も存在もそれまで知らずにいた。いや、少なくとも本の背くらいは目にしていただろうし、通りすがりに肩が触れ合うくらいの距離にいたことはあったかもしれない。たとえそうであったとしても、山之口貘という詩人を、詩人として意識し、詩集と認識して手に取ったのはまぎれもなくそれが初めてだった。


その詩集を手に取り、たった数篇に目を通しただけで、ぼくはすぐにここではない小宇宙を彷徨うこととなった。彷徨いながらそのまま帳場へ…。その日、ぼくは山之口貘の詩集をそんなふうにして手に入れることとなった。


ぼくはこの詩集を大切に思ってずっと持ち続けてきたのだけれど、ついこの間の一箱古本市でなぜか売ってしまった。なんで売ってしまったのかと不思議でならない。手放すつもりなんてなかったのに。人は生きていると往々にしてこんなことをやらかすものだけれど、それにしても不覚だった。売ってしまってからしばらくして後悔し、手許にないと思うと無性に読みたくなった。よく覚えていないのだけれど、ひょっとすると最近どこかで山之口貘の詩を目にしたのかもしれない。はたまたどこかで耳にしたのだろうか。とにかくぼくは何かに撃たれたように、あの詩集がどうしようもなく欲しくなってしまった。


そして今日、近所の古本屋さんで再会を果たした。ずいぶんと前から約束していたように、当たり前のように、それはぼくの手許に戻ってきた。


『鮪に鰯』山之口貘詩集「鮪に鰯」/昭和39年 原書房


鮪の刺身を食いたくなったと

人間みたいなことを女房が言った

言われてみるとついぼくも人間めいて

鮪の刺身を夢みかけるのだが

死んでもよければ勝手に食えと

ぼくは腹だちまぎれに言ったのだ

女房はぷいと横にむいてしまったのだが

亭主も女房も互に鮪なのであって

地球の上はみんな鮪なのだ

鮪は原爆を憎み

水爆にはまた脅やかされて

腹立ちまぎれに現代を生きているのだ

ある日ぼくは食膳をのぞいて

ビキニの灰をかぶっていると言った

女房は箸を逆さに持ちかえると

焦げた鰯のその頭をこづいて

火鉢の灰だとつぶやいたのだ


読むべきとき、読まれるべきとき、そんなときがあるのだとしたら、ぼくにとってそれは今にほかならない。