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ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

一人前になるために。

今回はちょっとお堅いはなし。


あいおい文庫のある「相生の里」は、昨年の10月に5歳の誕生日を迎えた。

まだほんのわずかな年月ではあるが、こうして5周年を迎えることができたのは、利用者さん、地域の方々、関係者の方々のお力添えと、そしてここで働くスタッフの顔晴り(がんばり)の賜物であると思う。(ここで相談員として働くぼくもスタッフの一員なので、こんなふうに書くと手前味噌っぽくて恥ずかしいが、本当にみんなよく顔晴っているのだ)


どんな仕事でもそうなのだが、一つ事を長く続けるというのは大変なことだ。
特に介護の現場だけが大変な仕事だとは全く思わないが、人の「支援」を長期に亘ってするというのは並大抵のことではないと思っている。
つまり、こういうことなのである。


私たちのいう「支援」とは、人生の断片ではなく、支援の対象となる方の「一生(ゆりかごから墓場まで)」をもって「支援」と呼ぶ。その方がどのように生きてきたのか、今後どのように生きることを望んでいるのか、またはどのような最期をのぞんでいるのかということを知り、深く理解するよう努め、受容し、本人(意向)を本人の人生の中心に置いて支援計画を立てていくことで「支援」が成り立っているのだ。


これは容易なことではない。自分の家族の人生でさえも支援することが難しい現代にあって、見ず知らずの他人の人生を長期的に支援し続けるという作業は、介護によってかかる肉体的な負担だけでなく、肉体を支える根源的な精神力をもかなり消費するものなのだ。「並大抵のことではない」という言葉の意味がお分かりいただけるだろうか?


このように書くと、「支援」とは日々磨耗していく精神との戦いのようだが、もちろんそれだけではなく得るものも多々ある。いや、「戴く」といった方が正確か。
医療畑とはまた違った意味で「命のやりとり」をしていると、「生活」というごくありふれた日常の中から思いがけない言葉を頂戴することが多い。言葉にできない方からは、その生き方や姿勢や態度などから学びを戴く。傍にいるだけで逆にホッとさせてくれる方、握り返す力、その人なりの100%、たまに見せる笑顔、奇跡的な回復……。「続けていてよかった」と思えるのは、まさにこんな瞬間であり、何物にも代えがたい「やりがい」となる。


この仕事を続けていく上で、この「瞬間」を感じられるだけの感性をもっているかどうかが「長く続けられるかどうか」に繋がる。まがいものの感性では限界が近い。どんなことでもそうなのだが、「磨く」という努力がやはり必要なのだ。このような瞬間を感じられるだけのスキルとハートを磨き続ける…そこが肝心なのだ。


相生の里はまだ5歳。幼稚園で言えば年長だ。一人前になるために、今日も磨き、今日も一喜一憂する。