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ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

無駄のない話。

最近は何を読んでもすぐに感動してしまい、涙腺もずいぶんと弱くなった。


前にも同じようなことを書いたのだけれど、あの大震災でぼくの中の何かが決定的に変わった、などというのはおこがましいか。
そもそも、こんなことを書いている自分に失望してしまう。なんだか多くのことが無駄でインチキくさいような気がしてならない。大事なのは、そこじゃないだろう…と。

ぼくはこれまで、どうでもいいような無駄なことばかりを大切に生きてきたつもりなので、その無駄なことに戸惑いを感じてしまうと、自分の生き方そのものにも戸惑いが生じてくる。
一日に何回も「こんなことをしていていいのかな」と思ってみたりする。
思ってみたりはするものの、けっきょく自分自身はなにも変わっていない。相変わらずの無駄を追い求めて、いや、無駄をなぞって生きている。


なんだってそんなに無駄についてばかり考えてしまうのかと云えば、それはそういう性分だからなのだけれども、ちょっと前に無駄のない心うたれる文章に出会い、余計にこのことを考えるようになってしまった。以下に引く文章が実話なのか寓話なのかそれすらもよく分からないのだけれど、電車の中でこの短い小品を読み終えたとき、深く感じる間もないままに泪が零れてしまうのを止めることができなかった。


《あるベトナムの村に宣教師たちの運営する孤児院がありましたが、爆撃を受けてしまいました。
宣教師達と2人の子供達が即死し、その他の者も重傷を負いました。
重傷になったものたちの中でも8才の女の子は最も危ない状態でした。
無線で助けを求めると、しばらくしてアメリカ海軍の医者と看護婦が到着しました。
大量に出血したことにより危ない状態にあり、早く手当をしないと少女は命を落とすことになります。


輸血が必要でした。しかしどうやってそれを行うことができるというのでしょうか。
言葉が通じないため、ジェスチャーを使って子供達を集め、何がおきていたのかを説明し、
誰かが血液を提供することが必要であることを伝えようとしました。
沈黙の時間がしばらく続いた後、一本の細い腕が恐る恐るあがりました。


ヘングという名の少年でした。


急いで少年の準備をすると、苦しむ少女の隣に寝かせ、輸血ようの管をとりつけました。
少年は黙ったまま天井をじっと見つめていました。
しばらくすると、少年は自由になっている手で顔を覆うと、しゃくりあげるように泣いているのでした。
医師がどこか痛いのかと尋ねるとそうではないようでした。
しかし、しばらくするとまた、しゃくりあげ、今度は大粒の涙をこぼしていました。
医師は気になり、再び尋ねましたが、またもや彼は否定しました。
ときどきしゃくりあげていたのが、やがて静かに泣き出しました。


明らかに何かが間違っているようでした。


すると別の村からベトナム人の看護婦が現れました。
医師はその看護婦にヘングに何が起きたのか尋ねてくれるように頼みました。
すると少年の苦しそうな表情はゆるみ、しばらくすると彼の顔は再び平静を取り戻しました。
すると看護婦はアメリカ人の医師達に説明しました。
「彼はもう自分が死ぬのかと思っていたんです。あなた達が説明したことを理解しておらず、少女を助けるため、全ての血液を提供しなければいけないと思ったようです。」
すると医師はベトナム人看護婦の助けを借り、少年にきいてみました。
「そうであればどうしてあなたは血液を提供しようと決心したんですか。」
すると少年は単純に応えました。


「あの子はぼくの友達なんです。」》


(ヘングという名の少年/「どんな顔をすればいいのか分からない」より)


単に自分の涙腺が弱っているということもあるのだろうけれど、無駄というものが許されない環境下にある者を思い、自分とは一体なんなのかと考え、泪が出る。
当然のことのように友人のために命を差し出す環境(人の気持ち)とは一体どのようなものなのだろうか。ついこの間まで、全く考えてもみなかった世界を思い、泪が出る。
自分の目先の利益ばかりを追い求め同情と愛情を履違えている者には、ヘングという名の少年のとった行動の意味が分からないのだろうなと思う。自分は…と考えてみて、また泪が出る。


このような話を引っ張り出すまでもなく、自分の住むこの国にだって、今も具体的な援助を必要とする過酷な状況下で暮らす人々はいるのだ。そんなことはよく分かっている。だからこそ自分の無駄が身に染みる。そして思う。「こんなことをしていていいのかな」と。
そう思ってみたりはするものの、やはり自分自身はなにも変わっていない。相変わらずの無駄を追い求めて、いつも通りに無駄をなぞって生きている。ため息すらも申し訳ない。


しかし、無駄のない人生で埋めつくされた世界を思ってみるとき、ぼくの背筋は決まって凍りつくのだ。そもそも、無駄とは一体なんなのだろうか…。