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ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

好きなものは好き。

敬愛する書き手について話をしていたら、なんでそんなに好きなのかと訊かれた。なんで?好きなものは好きなわけだし、なんでっていわれてもなあ。でも、なんでだろう…。


たいていのイヤなことや辛いことは、ビーチガラスのように時間と共に磨かれて丸くなる。だからくよくよするときは、とことんくよくよしてやろうといつも思っている。くよくよしていないときは、チマチマしている。他人から見ればどうでもいいようなことについて、チマチマと時間をかけていつまでも考えるのだ。「ねえ、聞いてるの?」と小さい頃からよく言われてきた。人と話していても、ついついチマチマしたことを考えてしまう。本を読んでいても、ほんの数分前に読んでいた内容をまったく覚えていないことがある。たしかに読んではいるはずなのに、チマチマワールドにトリップしてしまっていて頭に入っていない。ある意味このチマチマワールドには強烈な筋金が入っていて、自分のこだわりについては一切曲げないというワイルドな一面もある。ただの面倒くさい変人なのかもしれないが…。


本を読んでいると、こういうチマチマワールドを感じさせてくれる書き手に出逢うことがある。そういう書き手の著作には烈しく惹かれる。まるで雪崩にのまれるように、抗う間もなく魂をもっていかれる。そして、くり返しなんどもなんども読み返す。好きだから似てくるのか、似ているから好きになるのか、それらの著作の中に既視感のある風景をみて安心する。「ここにもいた…」と。
たとえば、ここのところ荻原魚雷さんの「本と怠け者」をなんどもなんども読み返している。私小説の妙味あふれる古書エッセイ。一冊あれば読むのに不自由はしないはずなのだけれど、気がつけば三冊も買っていた。うっかり同じ古本を買ってしまうことはよくあるのだけれど、欲しくて同じ本を複数冊買うのは本当に久しぶりのこと。読まずとも分かっていたのだけれど、ちょこっと立ち読みしただけで、ぼくの中の琴線にぶっすりとふれてきた。読む用に一冊、非常用に一冊、せっかくだからもう一冊。

本と怠け者 (ちくま文庫)

本と怠け者 (ちくま文庫)

以前にも書いたのだけれど、魚雷さんが好きだという作家さんのことをぼくも大好きなことが多く、魚雷さんの書くその作家さんを愛おしむ文章がまた堪らなく大好きだ。随筆や小説を読んで作家のエスプリに着眼し、引いて共感し、勇気をもらい、時に落ちこみ、呑んで、寝て、昼ごろ起き出して、またチマチマと考えてみる。もちろんそこには強い芯が一本通っていて、弱々しくみえても実は決して弱っちくない。チマチマして、くよくよして、悩んだりもがいたりしていても、ズームアウトしてみると決してぶれていないことが分かる。あくまで書き手によって書かれた世界についての感想として。兎に角こういうところに烈しく共感するのだけれど、その反面(矛盾するけど)真逆なキモチも多分にあったりする。なんでもそうだけれど、好きになるってそういうことなんだと思う。偶像崇拝的な「好き」ではなくて、純粋にそのものが好きなわけだから。


こんなことをまたチマチマと考えていると、やっぱり理由なんかあってないようなものだと気づく。好きなものは好き、つまりはそういうことなのではないだろうか。いや、待てよ…