ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

三十代も半ばを過ぎて。

山之口貘の詩集をうっかり売ってしまったあとで、どうしても読みたくなって買い戻したというようなことを以前このブログに書いたことがある。なんで急に読み返したくなったのか、その理由をすっかり失念していてかなり悔しい思いをしたので、このことはよく覚えている。
きっかけを思い出せないままにどうしても読みたかったのは『鮪に鰯』という詩で、今この時にこそ読んでおくべき詩だと思い、居ても立ってもいられなくなったのだった。今もその思いは変わらない。せっかくなので、自分のためにもう一度ここへ引用しておきたい。


『鮪に鰯』(山之口貘詩集「鮪に鰯」/昭和39年 原書房

鮪の刺身を食いたくなったと
人間みたいなことを女房が言った
言われてみるとついぼくも人間めいて
鮪の刺身を夢みかけるのだが
死んでもよければ勝手に食えと
ぼくは腹だちまぎれに言ったのだ
女房はぷいと横にむいてしまったのだが
亭主も女房も互に鮪なのであって
地球の上はみんな鮪なのだ
鮪は原爆を憎み
水爆にはまた脅やかされて
腹立ちまぎれに現代を生きているのだ
ある日ぼくは食膳をのぞいて
ビキニの灰をかぶっていると言った
女房は箸を逆さに持ちかえると
焦げた鰯のその頭をこづいて
火鉢の灰だとつぶやいたのだ

あれから何度も読み返していたが、ここのところは本の山に埋れ影を潜めていた。ではなぜまた思い出したのか。そう、ここのところが大事なのである。これをまた忘れてしまっては身も蓋もない。
あのときなぜこの詩を思い出したのか、それとまったく同じ理由で今回も読みたくなり、本の山の五合目あたりから引っ張り抜いた。その理由とはこれだ。

その夜、なんとなく友部正人さんの曲が聴きたくなり、YouTubeで検索していた。すると、「バーボン・ストリート・ブルース(2008年4月 ちくま文庫)」の高田渡さんが一緒になって検索結果に引っかかってきた。大好きな酔いどれの一人でもあったので、高田渡さんの曲も聴いてみようと思い再生してみたらこの映像にぶつかったのだ。ガッツーンと後頭部を鈍器で殴られたような痛みを感じ、あわてて山之口貘の詩集を探したが見つからない。「あっそうだ!」売ってしまったと気づくのにさほど時間はかからなかった。「ううう…」その場でがっくりと膝をついて浅はかな自分を呪い、しこたま酒を呑んだ。そのときの記憶は忘却の彼方へ…。


はたから見ればどうでもいいような話なのだろうけれど、ふと何かを思い出したときの喜びというのはひとしおであり、しかもその喜びは自分だけにしか分からないという性質をもっている。というか、こういうどうでもいいようなことをつらつらと書くことで、最近どうも記憶力が怪しくなってきたそこはかとない怖さを忘れたいと思っているのかもしれない。三十代も半ばを過ぎて…。