ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

古本を選ぶ 2011。

「泡鳴全集12巻/日記」岩野泡鳴 著(国民図書)
「落穂拾い・雪の宿」小山清 著(旺文社文庫
小島政二郎随筆集/場末風流」小島政二郎 著(旺文社文庫
「新読書(文化と理論の雑誌)」吉野裕編(新読書社)
「わが上林暁上林暁との対話」サワダ オサム 著(京都 三月書房)
加能作次郎集」加能作次郎 著(富来町立図書館)
「懶い春・霖雨」尾崎一雄 著(旺文社文庫
「色乞食」川崎長太郎 著(宝文館)
「通叢書/古書通」河原万吉 著(四六書院)
「文学の生命」十返肇 著(肇書房)

 
これらは今年になってから古本屋さんで買ったとても心に残っている本たち。つまみ読みをしただけの本もあれば、積ん読のまま頁を開いてさえいない本もある。それでも愛おしくてたまらない、ぼくから一等近しい場所にいつも置いている本ばかりを10冊だけ選んでみた。(こう書くと簡単に選んだみたいだけれど、実際にはかなり難儀した。いつまで経っても決められないので、数百円から千円程度で買った本のみという縛りを設けて選んだ。)どれも勇気や元気やほっこりをくれるステキな本ばかりで、こうしてタイトルを並べて書いただけでじんじんと心がシビレてくる…好きな本が傍にあるといつもこれだ。


毎年この時期になると同じことを沁々とつぶやいてしまうのだけれど、今年も本当によい古本たちに出逢えたなあと思う。またそういう古本に出逢えた強運にも感謝。古本の場合は本当に一期一会で、その一期すらもないことの方が多いのだから運命めいたものを感じてしまう。そしてなによりも、こんなステキな古本との出逢いを時に健気に、時に大胆に演出してくれる古本屋さんたちに心から感謝したい。ありがとう。


ここに選んだような古本を読むのに、最も適した時間帯というのがぼくにはある。それは、家族もみんな寝静まったようなしんとした夜。
まったりとした夜には、よく醸された酒のようにとろりとした本が読みたくなる。輾転反側 して一夜を明かすような夜には、傍でそっと静かに語りかけてくれるような優しい本が読みたくなる。
ほっと一息、グラスを片手に、お猪口を片手に、缶を片手に読みたい、肴のような本というのもある。
横になったまま古びた黄色い紙の綴りに顔を近づけると、日向ぼっこをしている時のような甘い馨りとあたたかさに包まれる。その安らぎの芯には、他の何でも代わりにならないようなずしりとした安定感があって、深い夜に深く安心することができるのだ。


新刊には新しい本としての魅力があり、古本には古い本としての魅力がある。どちらがどうということもなく、本が好きだから本を買う。身近なところにただあってほしいから求める。それだけのことだ。しかし、そういう当たり前さも昨今の面倒なあれこれで失われつつある。なにかにつけて思うのは、「当たり前」の難しさだ。当たり前だと思っていることのほとんどは、実は当たり前なんかじゃなくて得難いものであり、それに早く気がつかなければ、ぼくらはこの先も多くのものを失い続けることになるだろう。いや、こんなことは誰もが分かっている当たり前な話だ。当たり前、な話。


あともう少しで2011年も終わる。今年中に読みたい本、あと少しばかり残された時間で読む本は、当たり前に積まれた手近な山から選ぶことにしよう。しっかりと摑んで失わないように。