ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

立ち止まって考える。

あれから10ヶ月。
あと2ヶ月で1年になる。
それがなにを意味するのか、ぼくにはよく分っていない。
時の経つのは速いのか、それともゆっくりなのか。
それすらもよく分らない。


それがなぜなのか言葉にできないのだけれど、
ここのところなんとなく不安定な毎日を過ごしている。
忙しくもない。
悩んでもいない。
からっぽな頭でいろいろなことをただ考える日々。
答えらしきものは見つからない。
そもそも答えなんてあるのかどうかもよく分らない。
分らないことだらけ。
だいたい自分は何をそんなに考えているのだろう。
実は何も考えていない?
ポーズ?


大好きな読書が捗らない。
気がつくと、同じ頁をずっと眺めている。
同じ本をずっと持って歩いている。
本を読むって、そもそもどういうことなのだろう。
ぼくはなんのために本を読むのか。
このモヤモヤを解消したくてまた考える。
考えたことを表現するため言葉にする。
言葉をカタチにしたくて文字にする。
文字が集まり文章になる。
文章がまとまれば本になる。


言葉は、文字は、文章は、本は、人にチカラを与えるのだろうか。
今日の、明日の、これからのチカラになりえるのだろうか。
なるのだとしたら、それはなんなのだろうか。
ちっぽけな自分にもなにかできることはないのだろうか。

考えたことは忘れたくない。
忘れてはいけないことを憶えていたい。
忘れないために何をすべきかと考える。
でも、さっさと忘れてしまうべき場所があることについても考える。
同じ時間に、同じ地球で、
忘れてはならないと思う人と、早く忘れてしまいたいと願う人がいる。
なんなのだろう、この差は。


そして、こんなことも考えてみる。
人の「オモイ」の難しさ。
慮って、よかれと思って、一所懸命に、言葉や行動にしてあらわす人がいる。
でも実はそれがズレていて、人に不快感や悲しいオモイをさせているとしたら…。
なにもしないよりも、それはきっといいことなのだと思う。
だけど、どんなにいいことをしているとしても、
ときどき周りを見ながら振り返るってことは必要だと思う。
そういう途中の点検みたいなことが、たぶんスタート時以上に必要になるのだ。


そんなことを、毎日ただただ考えている。
なんだか申し訳ない…。