読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

しんどさの向こう側。

お腹の風邪をひいた、きのう。
それはそれは辛かったのだけれど、病院の薬を飲んだら半日ほどで好くなった。
さて、残された半日をどう過ごすか…もちろん読書に決まっている。
日中から堂々と蒲団に入って読書をするというのは、キモチの置きどころを探すのに少々手間取る。
なんだか申し訳ないような嬉しいような、おかしな感情が入り混じった不思議な心もちになる。
しかし、そうは云ってもせっかくの半日。さっそく書斎に入って書棚とにらめっこ…といきたいところだけれど、いつもと違ってあまりのんびりとは選んでいられない。ぐずぐずしていると「具合が悪いのだから、おとなしく横になっていなさいよ」などと連れ合いにお小言をもらい、せっかくの不思議な心もちが萎えてしまう。むむむ、なにを読もうか…。


震災に関する本の続きを、とも思ったのだけれど、少しココロの風を入れ換えたいという気もする。ぼくはすぐにキモチがまっしぐらになってしまうので、じょうずに換気をしないと息苦しくなってクラクラしてしまう。きっと今回のお腹の風邪も、そういうココロの息苦しさからくるSOSなのだろうと捉えることにした。
そんなこんなと考えて、最終的に選んだ本はなにかというと「海炭市叙景佐藤泰志 著(小学館文庫)」である。この本は一昨年の10月に文庫化され、かれこれ何十回も読んでいる。この作家のことは文庫化される前から知っていて、二十歳くらいのときにも読んではいるのだけれど、その頃はしんどくってあまり好きにはなれなかった。同世代の作家という括りであれば、むしろ村上春樹の作品のほうがずっと好きだった。(今はすっかり逆転してしまったけれど)

海炭市叙景 (小学館文庫)

海炭市叙景 (小学館文庫)

少し話は逸れるけれど、どんな世界にもあるように、なんだかよく分らないけれどブームになるってことが本の世界にもある。たとえそれが小さなコミュニティーであったとしても、まるで飴玉に群がるありんこのようにワーッと一斉に寄って集るこのブームというものには、しばしば驚かされる。斯く言うぼく自身も、ご多分に漏れずブームにのっかってしまうことが…。
佐藤泰志の作品が一気に7作品も文庫化され、初期作品集の単行本まで出版され、さらには海炭市叙景が映画化までされたというのは(映画化ありきで文庫化でも)一つの現象でありブームであるといえる。なんだってこんなにブームになったのか。きっと、二十歳のぼくには感じられなかった「しんどさ」の向こう側みたいなものを今になって感じ、いや感じざるを得ず、リアルに指先へ灯る希望を感じたいと願う人が多いのではないだろうか。それにしてもこのブームは凄かった。凄すぎた。


佐藤泰志の作品をなんどもなんども読んでいるのだけれど、読後にまったく元気がでない。軽い絶望感というかネットリとした孤独みたいなものが胸の端っこに残る。でも、その残ったしんどさの向こう側に元気のきっかけを見つけることはできる。しんどさの向こう側がだんだんに透けて見えてくるのだ。そこに一抹の希望をぼくは感じ取る。だからなんども読み返しているのだろうと自分をそう分析した。少なくとも「雰囲気」をもっている数少ない魅力的な作家であることは間違いない。ブームとは直接関係ないかもしれないけれど…


けっきょく、続けざまに3冊読んだ。「そこのみにて光り輝く」「きみの鳥はうたえる」と。今日も4冊目の「黄金の服」を読んでいる途中なのだけれど、ちょっと本を置いて、なんとなくこのブログを書きはじめた。


さあ、続きを読もう。