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ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

年寄りの冷や水。

「年寄りの冷や水」ということわざがあるけれど、正確にその意味を云えるだろうか?
故事ことわざ辞典で調べてみると、以下のように書かれている。
≪年寄りが強がって冷たい水を浴びたり飲んだりして無理をする言動。自分の年齢も考えずに無茶をすることは健康に良くないことから、それを自虐的に言ったり周りがたしなめたりするときに使う≫ということだそうだ。
これと似たような意味のことばというのは、調べてみると他にもけっこうある。「老いの木登り」「年寄りの力自慢」「年寄りの夜歩き」「年寄りには新湯は毒」などなど。
年寄りというのは、とかくこういった扱いをうけやすい。人を好きになったり、人を嫌いになったり、やりたいことをやろうとするとき、いちいち「年甲斐もなく」などと云われる。ひどいときには「気持ちが悪い」などと云われてしまう。
人は老いることを恐れる。
老いは「死」を連想させる。
不老長寿の魔法の薬…
死は物騒でこわいもの。だから、できればそうっと目立たないようにしていてほしいと願っている。もしくは、逆にまだまだ老いてはいない(死からは遠い)のだと受け入れを拒否しようとする。けっきょくは自分の行く末、死、をまざまざと見せつけられることが怖いのだ。自分はまだ大丈夫。自分はこんなふうにはなりたくない。人さまに迷惑をかけず、ひっそりと静かにお迎えを待ちたい…


「まだまだ若い者には負けられんわい!」という映画にでも出てきそうなお年寄りが実際にいるのかどうかは分からないが、まだまだ若いつもりで動いたがために、大ケガをされるという方は少なくない。かくいうぼくも、お年寄りと呼ばれるにはまだまだ修行が足りないが、十数年ぶりに野球の試合に出たあの頃、やれると思ったのに足がついてこなかった…ということがあった。幸いケガはなかったものの、完全に十代の頃と錯覚していたがために芝居じみた大回転をやってしまった。
年齢を重ねるというのは、つまりそういうことなんだと思う。
「こんなはずじゃなかった」ということ。


お年寄りだって喧嘩をする。
泣きもするし、怒りもする。
恋だってするし、憎まれ口だってたたく。
かわいい老人なんてまっぴらごめんだ…なんてね。
それでいいと思う。
それが若さの秘訣なのだと思う。
大いにやるべきだ。
うじうじと呆けるよりも、破廉恥に大胆に最期を迎えたい。
死ぬまで生きたい。
残りわずかな人生で新しい何かを築くことは、けっして悪いことではない。
人生という大舞台の上で、主人公は最期まで主役でいるべきなのだ。
だけど、無茶はいけない。
年をとって大ケガをすれば、若い頃のようにはいかないのだ。
心も身体も、あの頃のようにはなかなか元に戻らない。
機械と医者のエゴに頼り、生きながらにして死を味わわねばならなくなるのだ、自分も家族も。
だからあえて生意気を承知で云わせてもらえば…

老いては子に従え!

声を大にしてそう云いたい。
死ぬまで生きるために。