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ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

溺れる虫。

むかし、ぼくは客のいない喫茶店を選んでよく通っていた。
客がいないというだけで、安くて不味いコーヒーがひどくうまく感じられた。よくわかりもしないのにJAZZを聴いたり、誰にも邪魔されず読書に集中できるのがよかった。そんな喫茶店の定位置で、買ったばかりの古本を読みながらあいかわらず不味いコーヒーを飲んでいたとき、持ち上げたカップの中にぽとりと虫が墜ちて絶望的な気持ちになったことがある。飛んで火にいる夏の虫ならわかるのだけれど、夏でもなく火の中でもなく、まっ白ですべすべしたコーヒーカップの中の、まっ黒で熱いコーヒーにその虫は墜ちたのだ。本当に墜ちたのか、それとも意識的に飛び込んだのか。いずれにしても、いったいこれは何を暗示しているのだろうかと、当時のぼくはしばらく考えた。青い頃というのは、そういうことを考えてみたい年頃でもある。そして思った。これは人生によく似ている、と。ある日とつぜん、なんの前ぶれもなくそれはやってくる。まっ黒な海の中でもがき、大量に水を飲み、時折り水面に顔を出しては必死に息を吸い込む。噎せながら声にならない声を出して助けを求め、なんとか這い上がろうとするのだけれど、びっしょりと濡れた羽根ではそこから飛び立つことなどできない。暗い。暗すぎる。なんて暗いのだろう。でも、あえてそういう暗い部分を隠そうとは思わず、よく友人や付き合っていた彼女にそういう話をした。面白がって聞いてくれていたように記憶しているが、実際のところはどうだったのかわからない。コーヒーの海で溺れる虫を眺めながら、救いようのない人生について考える。羽根を濡らした小さな虫は、いったいどうすればふたたび飛び立つことができるというのか。今は遠いカップの縁を見上げながら、ただ溺れ死ぬのを待つしかないのだろうか。底の見えないまっ黒な海に浮かんだまま、静かに目を閉じてその時を待つ。まだ羽根を動かすことはできるだろうか。もう一度最後の力をふりしぼって、付け根のあたりに意識を集中させる。
コーヒーカップの中で溺死した虫をつまみだし、そっと紙ナプキンの上にのせる。まっ黒な不味いコーヒーをいっきに飲み干し、できるだけ虫のほうを見ないようにしながら、ぼくはその店を出た。