ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

道標。

昨日から一泊だけして、おばあちゃんは帰っていった。
おばあちゃんと孫の一般的な関係の在り方というものがどんなものなのかよく分らないのだけれど、ぼくがおばあちゃん子であることを差し引いても、かなり特殊な関係にぼくらはあると思う。単純なルーツとしてのつながり以上のなにか。遠いのに近い、細いのに太い、弱いのに強い、そういうなにか。でも、家族ってそもそもそういうものなのかもしれないな、とも思う。
ちびりちびりと酒を呑みながら、ぼくらは夜も深くなるまで人生について語り合った。人生について、の中にはあれこれ含まれる。仕事、生活、本、文学、食事、酒、病気、ルーツ、恋愛、夫婦、抑圧、解放、性、親子、過去、現在、未来…そんな話をした。深くもあり薄っぺらくもある、ふつうの人生論。そんな話をふらふらとしているうちに、「死ぬまでにやっておきたいいくつかのこと」を聞いてみるという展開になった。聞いてみたのはいいのだけれど、それを叶えてあげるにはかなり骨が折れるような話だった。ハッキリいってめんどくさい。おばあちゃんに、「そんなのめんどくさいよ。もっと簡単なやつないの?」と返したら、「めんどくさいことだから今もそのまんま残っているんだよ」と即答された。そりゃそうだ。人生ってのは、とかくめんどくさい。そういうめんどくさいブラックリストの中でも、とびきりめんどくさいやつがずっと後のほうまで残り、それがいつしか後悔という質の悪いものへと変わっていくらしいのだ。やってだめだったことは後悔しない。だけど後回しにしたり誤魔化したりで、けっきょくやっていないことというのは後悔として残ってしまう。いつまでも、夢の中までも、じわりじわりと後悔は襲ってくる。こうやって後悔に襲われっぱなしで死ぬのというのはさぞかし辛いんだろうなあ、などとブツブツ云いながら控えめにアピールし、叶えなくてはいけないオーラをむんむんだしているおばあちゃんに、けっきょくぼくは負けて引き受けてしまった。やれやれ。でも、しらんぷりしてほうっておいたら自分の後悔にもなってしまうし、後悔に襲われて生きるのはいやだしな…。
おばあちゃんの願いを叶えるための方法を考えつつ、昨日の話をゆっくり思い出して整理していたら、後悔しないために生きるというのは、今後なにかを選ぶときの道標になるかもしれないな、と思った。おばあちゃんという道標からもらった、新しい道標。生まれるということ、死んでいくということ。たぶん、そういうことなのだと、ぼくはおもう。