偶然の結びつき。
人がなにかを選ぶとき、その過程の中で“偶然”に出合ったり激しくぶっつかったりして、なにか目に見えない強引なチカラに巻き込まれるようにして決まってしまうことがある。たとえばアメリカの作家で詩人のポール・オースターの場合、おもわず口元が綻んでしまうようなこんなエピソードがある。
《その夜以来、私はどこへ行くにも鉛筆を持ち歩くようになった。家を出るときに、ポケットに鉛筆が入っているのを確かめるのが習慣になった。べつに鉛筆で何かしようという目的があったわけではない。私はただ、備えを怠りたくなかったのだ。一度鉛筆なしで不意打ちを食ったからには、二度と同じ目に遭いたくなかったのである。
ほかに何も学ばなかったとしても、長い年月のなかで私もこれだけは学んだ。すなわち、ポケットに鉛筆があるなら、いつの日かそれを使いたい気持ちに駆られる可能性は大いにある。自分の子供たちに好んで語るとおり、そうやって私は作家になったのである。(『トゥルー・ストーリーズ』ポール・オースター 著/2007年 新潮社)》
ぼくがポール・オースターという作家に出逢ったのは、『スモーク(1995年公開)』という映画を通じてだった。そしてぼくがこの映画に出合ったのは、当時付き合っていた彼女からこの映画のパンフレットをもらったことがきっかけとなっている。二人の予定が合わず一緒に映画を観に行くことができなかったので、彼女が気を利かせておみやげに映画のパンフレットを買ってきてくれたのだ。まだ観ていない映画のパンフレットを貰ってもなあ…と少し戸惑ったように記憶しているが、でもせっかく貰ったのだからと製本のためのホッチキス針が壊れるくらいになんども読み返し、そこではじめて原作者であるポール・オースターを知った。ちなみに、このパンフレットは今でも大切に持っているのだけれど、これはパンフレットというよりも文芸書と呼ぶに相応しい出来映えとなっていて、今でも時おり書棚から出しては読み返している。
この『スモーク』という映画は、映画そのものもとっても素敵なのだけれど、“恨みよりも、失った時よりも、触れた父が真実だった”パンフレットの中にはこんな撃ち抜かれるような言葉が彼方此方にちりばめられていて、映画の思い出とはまた違った角度からも更なる感動を与えてくれたりする。
いくつかの偶然の出合いで出逢ったオースター、今ではすっかり彼のファンとなった。
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・・・・・・オースターの書いたものを読んでいると、“偶然”というキーワードがずしりと根を張っていることに気づく。この偶然こそが彼の作品の原動力であり、「偶然はリアリティの一部である」というオースターの言葉を具現化したものが“物語”というカタチでぼくらの手元に届く。冒頭に引いた鉛筆のエピソードも、やはりそんな偶然に出遭ったところから彼が作家という職業を選ぶに至った過程である。引いた部分の補足をすると…
少年時代のオースターがはじめての野球観戦に行った帰り、おしゃべりに夢中で遅くなったため出口がぜんぶ閉まってしまい、外野センター側出口しか開いていなかった。ダイヤモンドを超えてその出口まで行くと、彼の崇拝するウィリー・メイズ選手に出会う。オースターはひるむ気持ちを抑えてサインを求め、その願いはすぐに聞き入れられるのだけれど、肝心の鉛筆を持っていなかったことに気づく。オースターも一緒にいた両親も鉛筆を探すのだけれど、けっきょく誰も持っていなかったために、サインをもらうことはできなかった。オースターは雨の日の犬のようになって泣きつづけた…。
この日に出合ったいくつかの偶然が結びついて当然となり、そこで得た教訓を胸に抱きつづけたままオースターは長い年月を過ごした。そうやって彼は作家になったのだ。オースターにとっての教訓とは鉛筆であり、いつもポケットに入れて持ち歩くことで胸に抱きつづけている。ぼくは自分のポケットの中を確かめながら、今もまだ彼のポケットの中に鉛筆が入っているところを想像してみる。だといいな、とおもって。ただそうおもってみるだけで、ぼくの中にふつふつとチカラが湧いてくるのを感じる。
“大切なのはそのことだけだ。誰か一人でも信じる人間がいるかぎり、本当でない物語などありはしないのだ”(ポール・オースター)
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