ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

ここんとこ読んだ本(二)。

ここんとこ読んだ本で、こころにおちた本シリーズ。

「無階級の人々」ジョージ・ギッシング 著(1998年 光陽社出版)
「阿佐ヶ谷日記」外村繁 著(1961年 新潮社)
「頭の洗濯」吉田健一 著(1960年 文藝春秋新社)
「こんな日もあるさ」上原隆 著(2012年 文藝春秋
「火花 北条民雄の生涯」高山文彦 著(1999年 飛鳥新社
「故郷の本箱」上林暁 著(2012年 夏葉社)
「復興の書店」稲泉連 著(2012年 小学館
「仙台ぐらし」伊坂幸太郎 著(2012年 荒蝦夷
「草のそよぎ」天野忠 著(1996年 編集工房ノア

こころにおちた文庫本もたくさんあるのだけれど、あえて単行本のみにしぼってみたらこのようになった。でも文庫は文庫で、いつかまとめてどかっと書いてみたい。
例によって、読んでいる本は読み返し続けている古本の割合のほうが多いのだけれど、それにしてもここんところは新刊をよく読んでいるとおもう。単純に読みたい本が続けて出されているからということもあるのだけれど、今ある本のどれを差し置いてでも読みたい本なのかどうかを散々考え、余程の決心と思い入れをもってから買うことにしたというのが大きい。「懐具合と本の置き場所について」という切実なテーマに対するこの取り組みによって、積ん読することなく買ったそばから読めている。


心が折れそうになったとき、または折れてしまったとき、ひとはどうやって自らを支え立て直そうとするのだろうか…ぼくはずっとそんなことを考えて本を読み続けている。たぶん、ひとりぽっちじゃないことを確認しておきたいのだとおもう。そこからなんらかのきっかけを見つけてもう少しなんとかなりたい、そんなふうにもおもう。この道の先を照らしてほしいのではなく、軌跡を知ることで自身を振り返り、自分の真ん中で考えたいから。
ここんところ読んだ本たちの中にも挙げた上原隆さんの書くものは、どれも正にそのものずばりなコラム集ばかりで、ど真ん中ストレートにぼくの琴線に触れる。こういうふうに表現すると失礼にあたるのかもしれないけれど、うますぎない文章がこのテーマにとてもよく合っていて嬉しい。ラストで上手に感動させられたり泣かされたりして終わらず、読み終えてから自分の真ん中で考える余白がたっぷりと残されている。うちには上原さんの本がぜんぶで8冊あるのだけれど、「こんな日もあるさ」はその中でもかなりよくって、たぶんこれから先、何度も読み返す本になるとおもう。


荒蝦夷さんから出ている「仙台ぐらし」は、半年くらい前に買って読んで、しばらく忘れていたのだけれど、最近になってまた読み返したら相変わらずおもしろかった。特別どうということもないのにおもしろいというのは、やっぱりすごいことだとおもう。伊坂幸太郎はすごい。


ギッシングの「無階級の人々」は、たぶん人生の一冊に入るくらい素晴らしい本。本が好きな人なら誰でも知っている名著「ヘンリー・ライクロフトの私記」も勿論よいのだけれど、この作品も負けず劣らず素晴らしい。はっきりいって、読んでいると途中で息が苦しくなってくる。それくらい酷い階級差別や貧困という心の折れてしまうような状況下におかれているのだけれど、そんな中でもこころにしっかりと夢を描き、なんとか人生を立て直そうとする著者の姿に打たれる。「おいおい、ギッシングさん…」といいたくなるような甘さや弱さ(やさしさ)も含め、彼の人間的な魅力がぎっしりとつまった至高の一冊。いつでも持ち歩けるように文庫化してほしいなあ。岩波文庫とかどうだろう…


少し前に夏葉社さんから生まれたばかり、ほやほやの新刊「上林暁の傑作随筆集 故郷の本箱」がとってもいい。なんつって実はまだ読んでいる途中なのだけれど…。というよりも、ひさしぶりに読み終えてしまうのがもったいない本、を手に入れたのでちびりちびりとやっているところなのだ。うまい日本酒と夏葉社さんの本は、一晩で空けてしまったらもったいない。そもそもそんなの粋じゃない。かむようにころがしてゆっくり呑ま(読ま)なくてはいけない。島田さんこだわりの装幀が素晴らしいことは言わずもがな、山本善行さんのチョイスが本好きのハートを悶絶するほどくすぐってくれる。


なんだかんだとタイヘンなことはたくさんある。こんな暢気なことを書いてなどいられないような現実だってあったりする。それでもなんとかやっていかなくちゃいけないし、なんとかすることだけに囚われたくない。だから本を買うし、本を読む。暢気なブログも書くし、酒も呑む。家族がいて、友人がいて、酒を呑んで、傍らには本がある。そんななんでもないような風景を、毎日なんでもなく送りつづけられることだけを望み、明日その望みが打ち消されても後悔しないように、おもったときにおもったようなカタチで暮らしたいとおもう。だから会いたい人には会いに行き、今日もぼくは本を読む。