ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

眠れぬ夜に。

夜中に目が覚める。
寝返りを一つ打ってから、足もとに丸まっているタオルケットを鼻の先まで引き寄せる。何も考えないようにして、ぎゅっと目を閉じてみる。けれども、閉じた瞼にあれこれ映りこんでちっとも眠くならない。懐かしさや後悔、楽しさや淋しさが、次から次へと映りこむ。思いがそちらへ少しずつ動き出す頃、すでに朝はずいぶんと遠いところへ流されている。


二度目の眠りを待つうちに、とりとめのない思いの渦に巻かれているということがある。思いをほかに転じようとしても、いつのまにか元の思いに囚われてしまい、逃れられない。枕の上で軽く首を振って追い払おうとするのだけれど、どうにもあれこれ思いは巡る。


大好きな山田稔さんのエッセイに、眠れない夜の思い出について書かれたものがある。

《さあ、今夜はもうこれでおしまい。何にも考えず、もう一度眠りにはいること。寝返りを打とうと枕の上で頭を動かす。すると目尻からひとすじ、ただ水のような涙がつうとこめかみを流れ落ちるのが分かった。朝はまだ遠かった。「母の遺したもの/『特別な一日』山田稔 著(1999年 平凡社ライブラリー)」》

夜中に目が覚めて、何とはなしに浮かんできた歌の切れはし。歌は少年時代の情景を甦らせ、いつしかそれは読書の思い出へと変わり、くるくると巡る。そうして繰り返されるいくつもの情景をぬけていくと、そこには生家の薄暗い小部屋や“赤本”と呼ばれる赤い固い表紙のついた分厚い本などが待っている。著者はそこに母親のにおいをみつけ、またぞろ思い出の渦へと戻っていく。あっという間に過ぎ去っていく人生を思い、ただ水のような涙を流す。すべてがついこの前のことだった、と。静かで淡々とした語り口なのに、読んでいるとじんわりあたたかくなってくる。いつのまにか、ぼくの目からもつうと涙が流れていた。


不意に訪れた眠れない夜、真っ暗な部屋の中でこの名エッセイを思い出した。よせばいいのに起きだして、寝ている家族に気を遣いながらゆっくり手探りで書斎へと歩く。書斎に入り、橙色の灯りをつけて目当ての本を探す。たしかめるように頁をめくり、まだ遠い朝のことをおもう。

特別な一日―読書漫録 (平凡社ライブラリー)

特別な一日―読書漫録 (平凡社ライブラリー)