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ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

夏の終わりに。

幼いころから、自分のための誕生会がキライだった。終わったあとのぽっかりとした淋しさがどうしてもいやだった。さっきまで仕合せの絶頂にあったはずなのに、オジャマシマシタの呪文が唱えられるやいなや突如としてセカイの果てまで弾き飛ばされる。たえられないくらいに大きなその淋しさは、当時のぼくの小さな胸には、重たすぎた。楽しかったはずの一日を、涙で終えるなんて、本当におかしいのだけれど。


夏におこなういくつかのイベントを終え、暦など関係なしに、ぼくにとっての本当の夏が終わった。そうおもったら、身体中からチカラがぬけた。正確にいうと、NUUのライブが終わった瞬間、あの幼いころに感じたぽっかりとした淋しさがものすごい勢いでやってきて、抗う間もなく身体中のチカラを奪い去っていったのだ。これまでにもたくさんのイベントを行っているのだけれど、終えたあとで、こんなふうにぽっかりとしたさみしさを感じるようなことは今までなかった。どちらかというと、ぼくは、ぼくなりにけっこう余計な気を遣っているので、イベントが終わると逆にホッとして解放されたような心地よさを感じていたはずなのに。今回のこのぽっかりは、いったいなんなのだろう…


今年の夏は、10年以上前からずっと好きだったNUUちゃんに声をかけ、あいおいのイベントに来てもらうことができた。こうして書くとなんでもないことのようだけれど、この日はぼくにとってトンデモなく奇跡のような一日だった。

かつて愛した音楽の中には、滋味たっぷりのスープみたいに、いろいろなエキスが混ざり合って溶け込んでいる。ひとくち含めば、ふわっと思い出が甦って広がる。NUUちゃんの曲にも、やっぱり10年分の思い出がたっぷりと溶け込んでいて、聴いているうちに涙がこぼれたり、ぽーっとしてしまうことがある。そして最後には、決まって仕合せなキモチでいっぱいになるのだ。NUUちゃんのライブをあいおいで行うということは、あくまで仕事上のことなのだけれど、白状すれば私的な思い入れのほうが強い。ぼくは、ぼくのためにこのイベントを企画したのだ。もちろん、たくさんの人たちにNUUちゃんの曲を聴いてもらい、ぼくが感じたこの仕合せなキモチを一人でも多くの人と共有できたらいいなというおもいもあるのだけれど、インディーズファンの多くがそうであるように、ぼくの中にも“自分だけのミュージシャンであってほしい”という複雑な感情があって、どうにもそればっかりは拭いきれない。こういうのって、ちょっとした恋心みたいなものなのかな。なんだか懐かしい。こうして書いていたら、ぽっかりとした淋しさがどこからやってきたのか、なんとなくわかってきたような気がする。でも、ぽっかりは、まだ、消えていない。


たくさんのお客さんが集まってくれたこと、そこにおじいちゃんやおばあちゃん、子どもたちも一緒になって、あいおいにあたたかい空間が生まれ、やさしい時間が流れたこと、感謝のキモチでいっぱいです。ありがとう。


NUU(ぬぅ)のこと。 - 日々の考え、あいおい文庫の場合。