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ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

気乗り。

文章を書くのにも、本を読むのにも、ここのところなんとなく億劫で気が乗らない。およそどんなことをするにしてもそうなのだけれど、気乗りがしないと何事もはじまらない。だらだらと時間だけが過ぎていく。たとえ気乗りしないままやりはじめたとしても、たいてい納得のいく結果にはならない。だったらやらなくたっていいや、という心持になってくる。いったいこの気乗りというやつ、どこからやってきてどこへ隠れてしまうのか、現れたかと思うと知らぬ間に姿を消していたりする。

文章速達法 (講談社学術文庫 (593))

文章速達法 (講談社学術文庫 (593))

平民社創設者、翻訳家、社会主義者など多彩な顔をもつ堺利彦の著書に、達意の文章家としてのエッセンスが詰まった“文章速達法”というのがある。これは大正4年の売文社時代に刊行されたものなのだけれど、文章入門書として今なお決して古い感じはしない。どころか、実際にぼくはこの本をいつも身近なところにおいて参考にしているし、読み物としても断然おもしろいので手放すことができない。

《人の心には絶えず種々様々の考えや気分が浮かんだり消えたりしている。しかるに文章を書こうとするには、是非とも心をその題目に集中せねばならぬのであるから、外に心配とか気掛かりとかがあっては、どうにも気乗りのせぬはずである。(『気乗り』堺利彦 著/「文章速達法」昭和57年 講談社学術文庫)》

この本の第一章は「大体の心得」となっており、いくつかある項目の一つに“気乗り”について書かれたものがあった。文章を書くためには真実の腹案が必要であり、真実の腹案を立てて書くためには気乗りしていなくてはならず、つまり気乗りと腹案とは切っても切り離せないわけで…と、こんなふうに気乗りの大切さについて大真面目に述べているのだけれど、ここでいう“十分に自分の感情心持を表す”その方法というのは、年寄りくさいありふれた気分転換程度のことでしかない。

《十分に自分の感情心持を表そうとするには、どうしても自然に気乗りのする時を待つか、あるいはよく寝るとか、散歩をするとか、旅行をするとか、場合相応の本を読むとか、外の仕事を片付けてしまうとか、その外色々の手段をもって、書くべき題目に対する気乗りを生ぜしめねばならぬ。》

気乗りというやつは、気乗り自身があっちこっちへ行くというのではなく、絶えず浮かんだり消えたりしている種々様々の考えや気分によって引っ張り回されている可哀そうなやつだということになる。つまり、種々様々の考えや気分が去っていき自然に気乗りが戻ってくるのを待つのか、それとも安心して気乗りが過ごせるように種々様々の考えや気分をやっつけてやるか、そのどちらかだということだ。その方法は人それぞれみんな違うのだろうけれど、ぼくの場合は、散歩、本いじり、午睡、人と酒、草野球…堺利彦の提案する方法とさして変わらない。ま、一言でいえば年寄りくさい。


ここのところなんとなく億劫で気が乗らなかったのに、今はこうしてブログを書いている。もちろんそれは気が乗っているからなのだけれど、なぜかといえば人と酒。コクテイルで行われていたイベント「高円寺から考える」に参加したことが大きい。魚雷さんに会い、トークライブを聴き、ハルミンさんのおにぎりを食べ、古本酒場で会いたい人に会えて、おいしい酒をたっぷり呑んだ。まったく仕合わせだなあ、なんておもっていたらいつしかノリノリになっていた。そんなもんさ、ね。