ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

つきあい。

まいにち本を読んで暮らしていると、読了後のよろこびよりも、たった一行に出合えたよろこびに舞い上がることのほうが多くなってくる。こうした、たった一行、たった一言のためだけに買ったのだとおもえるような文章(書き手)に出合えるというのは、そう度々あるものでもない。だからそういう出合いをしたときには、すぐに心のブックマークに登録して、ずっとこの先も忘れず大切につきあっていけるようにと心がけている。そういうずっとつきあっていきたいとおもえるような文章に出合い、よろこびに打ちふるえていると、そのうちまるで文章をとおして書き手さんと雑談をしているかのような感覚になってくる。こうなると、たのしくて仕方がない。

《老人になると人前に出ないほうがよいという串田孫一の話を、いい意見だと思っている。敗戦後五十年近くのあいだに、彼と会って話したのは、三度ほどにすぎないが、その随筆集を読むと、雑談をしているようにたのしい。老人同士のつきあいは、やがて雑談のような文章をとおしてというのが、無理のない形だろう。(『コーヒーと酒』鶴見俊輔 著/「隣人記」1998年 晶文社)》

上に引いたエッセイを書いたとき、鶴見俊輔さんは70歳を超えている。自分が70歳を超えて生きているのかどうか、もっといえば生きていたいのかどうかもよくわからないけれど、一冊の本を読んで、こんなふうに感じられるような年のとり方をするというのは、とてもいいなとおもう。老人だから、というよりも、酸いも甘いも噛み分けた人生の達人の極意であるような気がしてならない。


まだ老人ではないけれど、あまり人前には出たくないとおもっている。なので、たぶん老人になったらなおさら人前には出たくないのだろうな、と自分の老後を想像してみる。できることならひっそりと本でも読んで、のんびり老後を暮らしたい。ぼくも鶴見さんのように文章をとおして無理なく雑談を交わすことのできる、近い世代の書き手さんとのつきあいをずっと大切にしたいのだけれど、やっぱり酒をあいだにおいてつきあえる、そういうしたしい友もあってほしいかなあ。本と酒…。


まだまだ達人には、程遠い。

隣人記

隣人記