ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

島へ免許を取りに行く。

ぼくは彼女のことを、心の中でこっそり「視角のひと」と呼んでいる。
その卓越した視角に烈しく身を焦がし、ときに烈しく嫉妬する。キモチを切り替えたいときや、迷子になりそうなとき、ぼくは彼女の烈しい視角を頼りに自分を取り戻そうとしている。


視角のひと、星野博美さんの新刊『島へ免許を取りに行く』を読んだ。
長年連れ添った愛猫に旅立たれ、人間関係で憔悴。すっかりまいっていた星野さんは、そんな膠着した日常に小さな風穴をあけようと思い立つ。地方の合宿で車の運転免許を取ろう、と。選んだ先は長崎県五島市にある五島自動車学校。美しい景色に牛や馬たち、おまけにお化けまでいる(?)五島で奮闘すること四週間、そこで著者が得たものとは…というのがこの本の大筋。ここでも相変わらず、視角のひと、だったし、読んでいてまた烈しく身を焦がしたりもしたのだけれど、今回はいつもと違ってそこばかりに重きを置くような読み方にはならなかった。これはヒトコトでいうならば、心が折れちゃったひとの再生過程と決意を克明に綴ったドキュメンタリーである。そこに視角という絶品のスパイスが加わることで、まるで美味しい手料理をご馳走になったときのように、元気と幸福感が湧き上がる。これまたイッキ読み必至。

《運転とは、想像をはるかに越えた深淵な世界だった。私は脳みその大改造から始めなければならなかった。私が属する現実世界は、四週間前と何一つ変わっていない。けれど多分、これからは世界の見え方が少し変わる。そんな予感がした。ちょうど、異文化への旅を終えて自国へ戻った時、自文化に対する視点が少し変わるように。
(中略)
私は東京に帰って、また以前と同じような失敗を繰り返すかもしれない。その時はまた、やりなおせばいい。何度でも、やりなおすことはできる。》(『島へ免許を取りに行く』2012年 集英社インターナショナル

子どもの頃は、がんばったら「がんばったね」と誉めてもらえた。何かに挑戦し、たとえそれができなくても「がんばったね。また次があるよ」と慰めてもらえた。何回でもやりなおせた。でも、だんだんと大人になるにつれて、そんな言葉をかけてくれるひとはいなくなる。それどころか、「もう大人なんだから」「いいとしこいてさあ」「はずかしくないの?」なんて、逆に凹まされることをいわれてしまう。いや、口には出されないまでも、そうおもわれているんじゃないかとおぼつかなくおもって自粛する。やりなおすことが怖くなる。齢を重ねるごとにどんどんセカイがせまくなっていく。


星野さんはあとがきのなかで、こんなことをいっている。
「どうせ何もできない。がんばっても誰も誉めてくれない。だからがんばらない。新しいことに挑戦もしない。そんな自分に戻りたくない」
自信をもつ、ということが一つ大切なことなのだとおもう。誉めてもらうためにやるのではないけれど、だれもが認めざるを得ないくらいに全力で取り組むことは、結果として自信につながる。あきらかに他人に迷惑をかけるようなことになったり、あしたの生活もままならないほどに自分を追い込んでしまうというのはどうかとおもうが、自信がもてるまで「諦めない」という姿勢は、膠着した自分の殻を破るための一つの突破口にはなるだろう。


じゃあなにをしようかと考えてみると、実はその設定がすでに難しかったりする。無我夢中で没頭する、そんなところまで自分を追い込む、そういう局面に立つなんてことは、あたりまえだと思い込んでいるこの日常の中にはそうそうない。そもそも設定をしようという段階で、すでに無意識化に諦めて消去していることだってあるかもしれない。
手が届かなそうで届きそうな、具体的な目標、自分だったらなんだろう。
視角を大きくして、見渡してみよう。

島へ免許を取りに行く

島へ免許を取りに行く