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ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

夢の共演。

年末が近づくと、「夢の共演」と銘打ったテレビ番組が多くなる、ような気がする。其処彼処に転がっているような共演ではなく、夢の共演。普段はあまりテレビを見ないぼくでさえも、夢の共演という言葉には胸が躍る。ぜったいに見たいし、ぜったいに聴きたい。だってそれは夢なのだから、うっかり見逃してしまったらもう二度と見ることができないかもしれないし、ほっぺたをつねったら目が覚めて、連れ合いに「なにを夢みたいなこといっているの?」なんていわれてしまうかもしれないから。なので出来る限りそうっとリモコンのスイッチを押して、現実的な刺激のない状態を維持しながら、夢から覚めないことを祈りつつ、慎重にその世界を迎え入れなくてはならないのだ。


ついこのあいだ高円寺の古本酒場コクテイルでおこなわれた、星野博美さんと荻原魚雷さんのトークショーに行ってきた。星野博美さんの『島へ免許を取りに行く』(2012年 集英社インターナショナル)刊行記念トークショーだったのだけれど、ぼくにとってこれこそまさに夢の共演だった。予約をした日からずっとドキドキしていて、まんじりともしない夜を過ごし、当日コクテイルに着いたらもうどうしていいのかわからないくらいドキドキしっぱなしで、正直かなりマイッタ。あんまりドキドキするので、こっそりほっぺたをつねって現実世界へ帰ってしまおうかともおもったのだけれど、どんなに強くつねっても、夢から覚めることはなかった。


司会のいないトークショーだったので、お二人の会話のところどころに独特で絶妙な「間(ま)」ができる。ぼくはそういう間が大好きなので、聴いていて、見ていて、とても心地よかった。レコードに針を落としたときのパチパチという音、ギターの演奏中に弦から弦へと指を滑らせたときのキュキュッという音、古い映画のノイズや短い画像の乱れ、そういうのに似たほんのちょっとの間とか二人の機微のようなものが素敵だった。角ハイがすすむ。


グラス片手にトークショーを楽しみながらおもったのは、写真家であり書き手である星野さんの視角は、ものすごくバランスが悪いみたいだ、ということ。どっちかに偏っているわけでもなく、二つを足してバランスよく割っているというわけでもない。うまくいえないのだけれど、ここだとおもったらがつがつと陣取り、そこにどっかりと居座っているのかとおもえば実は不安定なままで、揺れながらジイッと眺めてジイッと捉える沈思のひと、そんなふうな印象を受けた。唯一無二な不安定さとその視角がとにかく魅力的で、実際にお会いしてまた惚れなおしてしまった。


身ぶり手ぶりの実演付きでお話ししてくれた運転免許取得までのあれこれ。星野さんの設定した「手が届かなそうで届きそうな、具体的な目標=運転免許取得」というのは、自分の足元をしっかりと見据えたうえで前へと進む、その最良の方法であると感じた。ただし、自分の足元がしっかり見えていないと、なかなか具体的な目標設定まで辿りつけないという難しさはある。ジイッと眺めてジイッと捉える沈思の姿勢、そこがひとつのカギなのかもしれない。


それにしても、魚雷さんがせっかく声をかけてくれたのにもかかわらず、ドッキドキのあまりまたろくすっぽ話ができなかった。魚雷さんとも星野さんとも、話してみたいことは山のようにあったのに。自分で自分のことを人見知りだなんて、大人になったらいつまでもいってちゃいけないのかもしれないけれど、こればっかりはどうしようもないもんなあ。早めに酔っぱらってしまえばいいのだけれど、酔っぱらっちゃうと頭がいまいち働かなくなるし。なんとも難しい問題だ。ちゃっかり握手はしたけどね。
…まあ後悔もあるけれど、でもね、夢の競演が本当の夢じゃなくてよかったよ、ほんとに。最幸のひとときだったもの。とかいって、実はまだ夢の中だったりして…