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ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

古本と金沢。

一泊二日の出張で、金沢に行ってきた。前日入りしての旅なので、夕方からの吞み会までたっぷり半日はフリーな時間がある。せっかく金沢に行くなら、これはあそこに行くしかない。金沢といえば、あそこ。一人ひそやかに笑いながら、旅のおとも本をえらぶ。さんざん悩んだのだけれど、どうせあそこに行くことだし、持っていくのは読みかけの本など4冊だけにしておこう、となった。ちなみに、吉田健一の「金沢」は持っていっていない。心情的には持っていきたかったのだけれど、読点のない文章は旅に不向きだとおもい、やめておいた。


金沢に着くともうお昼だった。ホテルのフロントに荷物を預けておいてから、うまいお昼ご飯の食べられそうなところをさがす。が、ない。日曜日はどこも閉まっている。東京でも食べられそうなものを食べるというのは癪なので、目的地に向かって歩きながらキョロキョロとさがす。が、やっぱりない。ラーメン屋とかオムライス屋とか中華料理屋とか、そんなお店ならあちこちにある。だけど金沢っぽいお店がない。カナザワッポイ?金沢っぽいってなんだろう。金沢っぽいの意味なんてよくわからないままにひたすら歩く。なんとなく曲がって裏の路地に入った。入るとすぐに、赤い提灯がぶら下がっているのが見えた。提灯には、「立・ち・飲・み」と書いてある。迷わず入る。金沢っぽい、かどうかは別として、もう心身ともに限界に達していた。ここでの小一時間に特筆すべきことはなにもない。


すっかりゴキゲンになって、ふらふらしながらまた歩きだす。途中に市立の大きな図書館をみつけたのでぐるりとまわる。緑が多くてきもちのよい玉川公園の中を突っ切って、中央小学校を過ぎると、目指すそこはあった。根津、青山と移転し、現在は金沢に2軒のお店を構える古本屋、オヨヨ書林さん。ひさしぶり。ぼくは、文芸、人文、思想関係の本が好きなので、まずはこちらの「せせらぎ通り店」へ。もともとここは何に使われていたんだろう。お店の中はレトロでお洒落な感じ。どちらかというと苦手な雰囲気なのだけれど、ほっとかれ感が十分に感じられるほど店内は広い。安心してゆっくりと本がみられる。好みの本ばかりがたくさん並んでいて、端から端までじっくり見て回ったらあっというまに1時間以上が過ぎてしまった。ここでは、なかなか見つけられずにいた古山高麗雄さんの「悪魔の囁き(1975年 番町書房)」など3冊を購入。


そこからまた20分くらい歩いて、タテマチ商店街にある「オヨヨ書林 タテマチ店」へ。こちらのお店はオヨヨさんらしく、アート、サブカル、デザインなどがメイン。ぼくの好みのジャンルとは違えども、せっかくなので軽く覘いていこうと均一棚を見てびっくり。天野忠さんの「木洩れ日拾い(1988年 編集工房ノア)」がナント百円で。喜び勇んで本の背をしっかり掴む。やっぱり来てみるもんだわ。店内には若者たちがたくさんいて、アート、デザイン関係の本を熱心にみている。お店とお客さんが一つになっていて、なんだかもうそれ自体がアートな感じ。均一棚の1冊のみ購入。


仲間との待ち合わせまで、残り1時間。バスで金沢駅に向かい、一杯やって待とうかとおもったら、駅中に「本の広場」なる文字が。駅中の古本屋、とある。これは一杯やってる場合じゃない。さっそく店内へ。何冊か手にとって値札をみると、棚ごとにお店の名前が違う。ここは街の本屋さんと数件の古本屋さんの棚で構成された、三省堂古書館的なお店だった。気軽に入ってぶらぶら棚をみることのできる、敷居の低い古本屋巡り入門編といった感じの印象。鶴見俊輔さんの編んだ「本と私(2003年 岩波新書)」を購入。


この日の夜は、うまい地酒と郷土料理などをたらふく食べ、ホテルまで10分程度の帰り道をふらふらしながら1時間以上かけて帰った。途中、もう二度とうちには帰れないような気がして連れ合いに電話。「もうダメかも。おそろしく寒くて死にそうなのに、ぜんぜん帰り道がわからないんだけど…」といった瞬間に、ホテルのネオンが見えた。なんのことはない、ホテルのある隣の路地を行ったり来たりしていただけだった。ほうほうの体でホテルに戻り、きょう買ったばかりの古本たちを抱きしめる。手は凍え、歯はガチガチと鳴り、鼻水も涙も流れていたけれど、心だけはじんわりとあたたかかった。