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ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

想像力について。

ここのところ、想像する、ということについてよく考える。
小さい頃、あれこれ想像してみることが大好きで、ひとり想像の世界に遊んでいた。想像することは自由だし、その世界における可能性は無限大にある。現実と可能性が世界の内にあるのか外にあるのかなんてことは考えもせず、ただ漠然とどんなものにだってなれるとおもっていたし、そのためのどんなことだって受け入れることができた。想像によって現実の世界を見るための視野が狭くなることがあるけれど、それは集中して取り組むために用意された小部屋のようなものだとおもっていた。そこはとても居心地が好かったのだけれど、自分が大きくなるにつれて根拠のない想像たちはしだいに影を潜めていき、いつしか小部屋を出て物質文明に合った広大な空間に身をおくようになった。


それでも、想像をしてみないということはない。どんなことだって、まずは想像してみるというところからはじまるのだとおもっているから。かつてジョン・レノンが歌っていたように。ひとは想像するだけでひどく臆病になったりもするけれど、逆にそれだけで胸を高鳴らせて希望を抱くことができる。それは過去に学習して形成された意識というのではなく、強くこうでありたいと願い、その信じた世界を具体的に思い描くことができる、ということである。ひとが人の内からなにかを生みだそうとするとき、世界についてどれだけ具体的に思い描くことが出来るか、その想像力の在り方が大きな鍵を握っているようにおもう。ただのロマン主義じゃないかと云われてしまえば、それまでなのだけれど。

《この世界のなかに、この世界と異質のものを築くのです。外側に築くのだったら簡単かもしれないけれども、内側に築くのだから難しい。たとえば個展を開いたとする。そこへたくさん絵描きさんが見に来てくれた。こんどは、見に来てくれた絵描きさんが個展を開く。自分が今度はそこに見に行かなければならない。そんなことをくりかえしていると、いい絵は描けないんです。描けないのだが、たとえていえば現実空間とはそういうことのくりかえしである。その現実空間のなかで、まったく関係のない異質の宇宙を築こうとするから、絵描きは折り合いがつかなくなって、挫折したり、希望をなくしたり、ときには自殺したり、おかしくなったりするんではないだろうか。》(「絵とはなにか」坂崎乙郎 著/『絵とはなにか』1976年 河出書房新社

美術評論家である著者のこの本には、絵描きと世界との距離感のことが優しく書かれている。この本はタイトルが「絵とはなにか」であるし、絵描きのことが中心に書かれてもいるので、絵に興味がなくては手に取ることもなさそうなのだけれど、実は絵に精通していないぼくでさえも深い感銘を受けてしまうような、人生の一冊だったりする。


著者はいい絵を描くための要素として、想像力、個性、感覚の三つをあげている。そのいずれかのうちのどれかが欠けてもいい絵は描けないのだけれど、物質文明という時代はそれらの要素を殺すような仕組みとなっており、昔に比べて(環境にもよるが)いい絵が生まれにくくなっていると著者はいう。この本を読みすすめていくと、単に絵とはなんなのかというだけの話ではなく、この世界のなかで感覚を研ぎ澄ませ、いい絵(イメージ)を描きながら暮らしていくための具体的な方法について語られているようにも受け取れる。
いい絵を描いたり感じたりするということ、それは烏合して自分を見失ったりせず、また刷り込まれたイメージに惑わされることもなく、しっかりと自分の世界を築いていくということである。自分はこの世界にあって、この世界のことをどれだけ見つめ、感じることができているのだろうか。その世界の内側になにかを想像し、具体的なカタチとするためになんらかのアクションを起せているのだろうか。世界は、まだここにあるのだろうか。自問自答はつづく。


「人間の一生は一回しかない。しかも、短い一生である。想像力に一生をぶち込めたら、こんなに幸せな生き方はないと思うのです」(坂崎乙郎

絵とは何か (河出文庫)

絵とは何か (河出文庫)