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ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

一日の長さ。

ここのところ、一日がひどく長く感じられる。
ついこのあいだまでは一日があっというまに終わってしまい、ひどく短く感じられていたのに。といっても、時間の流れが遅遅として進まないから退屈している、というわけではない。たっぷりと時間があるので、仕事の段取りがうまくいって捗るし、ゆったりと本を読んだり、集中して映画を観たりすることができて、毎日をとても有意義に過ごせている。しかし、こんなふうに時間の流れが速くなったり遅くなったりするというのは、いったいどういうわけなのだろう。太陽がぐるりと南中するまでの長さが変わったというわけでもないのに…。またまたあれやこれやと思いを巡らせた。

《昔は一日が長かった。最近はひどく短い。一日がすぐたってしまう。夜十時には眠くなり、朝六時には起きているのだが、犬の散歩、写真のプリントアウト、原稿、練習、プール、本屋、それで夕方になってしまう。スカパーで野球、あるいは、映画を観る。『大いなる遺産』良かったなー。娘にメール。寂しい。優しき友よ、懐かしき恋人よ、お元気ですか》(「友だちがいない」早川義夫  著/『たましいの場所』  2002年  晶文社

早川義夫さんのエッセーを読んでいると、いつのまにか素の自分に戻れる。ついついカッコつけたり、他人と比較したり、いいわけをしたり、そんなふうに背伸びしたり取り繕ったりしてガッカリする自分に、「そんなもんだよ」とさりげなく声をかけてくれる。それは何かを消去したり、修正したりするというのではなく、まるで Enterキーをカタンッと押すみたいに、ごくさりげなく区切って、次の行へと改めてくれるのだ。自分という物語を書き綴っていくなかで、この改行するという作業はとても重要になる。改行するからこそ自分の軌跡を振り返ることができるのだし、読み返して反省することも感謝することもできる。仕切り直して客観的になれる、ということなのかもしれない。だらだらと惰性だけで書いたり、書きあぐねて立ち尽くしたり、そんなふうに自分で自分の仕切りなおしがうまくできないとき、そうしてさりげなく改行してくれる早川さんのエッセーは、ありがたい。


上に引いた一文なのだけれど、このような思いに駆られることが、ぼくにも時折ある。やることがないわけではない。むしろ多い。夢中でやっているので、あっというまに時は過ぎてゆく。そしてそんな自分を振り返ってみると、なんだか空しい。なんだか淋しい。むなさみしい。そういうとき、たいてい一日をうまく使えていないような気がする。いや、一日というよりも、人生の時間をうまく使えていないような気がする。そうおもうと、なんだかとってもむなさみしくなる。むなさみしくなって、ひとに会いたくなる。むなさみしいときに思い出すひと、会いたいひと、実際に会って話せるひとって、誰だろう。そんなふうに、ひとをおもって、少しつよくなる。


きっとまた、一日がひどく短く感じられる時はやってくるだろう。むなさみしくもなるだろう。そんな時に会える友人がいるということ、話のできる友人がいるということ、本当に仕合せなことだとおもう。このエッセーを読み返すたびに、つくづくそうおもう。

たましいの場所

たましいの場所