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ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

絶不調な一日と映画。

好不調の波みたいなものがあるのだとすれば、最近は絶不調であるような気がする。体調のことではなく、また特別なにがどうこうというわけでもなく、全体的になんとなく低調気味といった感じ。どちらかというと、年が明けてから心機一転いい調子だっただけに、その落差が激しい。なんとなく気が入らないというか、打ち込めない感じがだるい。そんなふうだと読書もあまりはかどらず、目は文字を追っているのだけれど全然アタマに入ってこない。そんなときは本を閉じ、落ち着いて静かな映画でも観ているほうがいい。


ぼくは幼い頃からよく映画を観ていた。実家が営む武道具屋の定休日が水曜日であったため、毎週水曜日になると映画の好きな父に連れられて映画館へ通った。好むと好まざるとに関わらず、とにかくどんな映画でも喜んで観ていたので、多感な少年がこの時期に自分をカタチづくるためのあれこれは、教わるよりも映画から学ぶほうが多かったかもしれない。もう少し大きくなって学校の部活動などがはじまると、それまでのように父と一緒に映画を観にいくということは少なくなり、かわりに友人や交際相手と一緒に観にいくことのほうが多くなった。お小遣いをもらって観にいく映画の傾向はハリウッドの大作や恋愛ものがメインとなり、それはそれで面白かったのだけれど、今となってみるとあまり印象には残っていない。さらに時は流れ、レンタルビデオショップでアルバイトをするような年齢となり、ぼくは自分の稼いだお金でほぼ毎日のように映画を観て、同じように映画の好きなバイト仲間や友人を相手に評論家気どりで一席ぶつという鼻持ちならないガキになった。やがてそのガキものらりくらりと社会人になり、こんどは映画館などないような田舎の小さな町で暮らすようになった。物理的なこと以上に、はじめて勤め人となったことで精神的にも時間的にも余裕がなくなり、映画を観にいく機会はぐっと減った。たぶん人生で最も映画から離れていた時期だったとおもう。それでも時々なにかから逃げるように明け方までやっている場末の小さな映画館へ入り、まるで知らない映画を行き当たりばったりに観ていた。自分の居場所や逃げ場所をもつということが、人生のうちでどれだけ大切なことなのかと学んだのは、おそらくこの頃だったとおもう。


それからまたずいぶんと年月が流れて現在に至るのだけれど、ここのところは映画といえば、もっぱら DVDや動画配信サービスで観るようになった。本当は映画館で観たいのだけれど、永く思い出として残る映画や観劇などの場合、連れ合いや子どもたちを差し置いて自分だけ映画館に足を運ぶというのはどうにも気が引けてしまう。どうでもよいところで変に律儀な男なのだ、ぼくは。一人遅い夕食をとり、一杯やりながらしみじみと映画を観る。終わったらさっさと風呂に入って、さっき観た映画のことを考える。それから寝る前に読む本をじっくりと選んで、寝床にもぐりこんだら瞼がおもたくなるまで読む。目を閉じたら、最後にもう一度だけさっきの映画のことを考える。ぼくの絶不調な一日は、そんなふうにして今日も終わろうとしている。