ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

生活の展開。

数ヶ月前、近所のブックオフで「小林秀雄全作品1 様々なる意匠」を見つけ、行くたびに買おうかどうかと迷っていたのだけれど、没後三十年特集などを読んでいたら無性に欲しくなってきた。さて、いざ買おうと決心してお店に行ってみると、いつもあったはずの棚に肝心の本が、ない。ああ、もっと早く決断しておくんだった 、とガックリうなだれたまま仕方なく105円コーナーをのぞいていたら、あった。迷って得した、優柔不断というのも、悪いことばかりじゃない。ちなみに、この本のほかに小林秀雄の著作で愛読しているのは、「考えるヒント」(2004年 文藝春秋)というシリーズ。この人の書いたものは難解なものも多いけれど、卓越した視角と思索はそのままに平易な文章で語られるこのシリーズは、深くモノを考える、というきっかけと手がかりを与えてくれる。いつも否応なしに時間のかかる読書となるのだけれど、こんかい買ったこの本もじっくりと時間をかけて読みたい。

《卓れた芸術は、常に或る人の眸が心を貫くが如き現実性を持っているものだ。人間を現実への情熱に導かないあらゆる表象の建築は便覧に過ぎない。人は便覧をもって右に曲がれば街へ出ると教える事は出来る。しかし、坐った人間を立たせることは出来ない。人は便覧によって動きはしない、事件によって動かされるのだ。強力な観念学は事件である、強力な芸術もまた事件である。》(「様々なる意匠」小林秀雄 著/『小林秀雄全作品1 様々なる意匠』 2002年 新潮社)

決まったところを行き来して、決まった仕事をし、決まった生活になることを心がけて暮らしていると、決まっていないことをするのがおっくうになる。そんなふうにおっくうなことを避けて通っているうち、たしかにあったはずの現実への情熱は少しずつ薄れていく。自分を動かすための原動力となる情熱を見失ったまま、決まった、というよりも決めてしまった生活をしばらく続けていると、だんだん自分がカラッポになっていくような気がする。そしてまた現実への情熱を求め、膠着した生活を展開させようともがきはじめる。そういったことの繰り返しが、ここ何年もずっと続いている。


本を読んだり、絵画や映画を観たり、音楽を聴いたりして芸術に触れていると、後頭部を鈍器でブン殴られたようなガツンという強い衝撃を受けることがある。衝撃のあとから雪崩のような情熱が押し寄せてきて、カラッポを感じていた胸の真ん中あたりに注がれていくものをたしかに感じとることができる。情熱は人間の生き方の根底となる人生についての揺るぎない考えを浮かび上がらせ、現実へと向かう原動力となる。たしかに、それはもう強力な事件であるというよりほかはない。優れた創造力に心を貫かれ情熱は生まれ育ち、その情熱によってまた生活は展開する。小林秀雄の書いたものを読むこともまた、生活の展開につながっている。

小林秀雄全作品〈1〉様々なる意匠

小林秀雄全作品〈1〉様々なる意匠