ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

ライスカレー。

昨日がカレーだったので、きっと今晩もカレーライスだ。もしくはカレーうどん。わが家ではカレーはつづくものと相場が決まっている。他のメニューであれば文句を云いたくなるところだけれど、カレーなら許せてしまう。そして決まって二日目のカレーのほうがうまい。語り出したらキリがない、カレーというのは実に魅惑的な食べものだとおもう。


少し前に「アンソロジー カレーライス!!」(2013年 PARCO出版)という、カレーだらけの本を買った。うまそうなカレーの表紙に、カレー色の紙、涎の出そうなカレー写真たっぷりで、ぼくの好きな書き手ばかりが並ぶ。色川武大内田百間神吉拓郎獅子文六滝田ゆう古山高麗雄向田邦子山口瞳吉行淳之介…… 。手に取ったが最後、もう買わずにはいられなかった。カレーライスについてのどうでもいいような蘊蓄や思い出がいっぱい詰まったこのアンソロジー、読めば時代や環境こそ違えどカレーに対する想いは万人に通ずるものがあるとよくわかる。


うちの父もカレーが好きで、しょっちゅう作っては「ついに最高のカレーができた!」と子どもみたいにはしゃぐ。もらってきて食べてみれば確かにうまいのだけれど、時に奇をてらいすぎていて眉をひそめてしまうことも間々ある。かく言うぼくもカレーを作るのが好きで、休日に時間をかけてグツグツとやる。「パパの作るカレーは特別美味しいでしょ?」と執拗に訊いて迫る己の姿は、「ついに最高のカレーができた!」とはしゃぐ父の姿とさして変わらないことに気づき、ひどくショックを受けた。それに対して冷静に「うん、美味しいね」と言ってくれる息子もまたカレーが好きだし、数年前に死んだ祖父もカレーが好きだった。そういえば祖父はカレーライスのことを「ライスカレー」と云っていた。ライスカレーと聞くと、祖父に「ライスカレーじゃなくて、カレーライスだよ」と訂正したため怒鳴られたことが思い出される。そもそもカレーライスとライスカレーの違いってなんなのだろうか。気になったのでちょっと調べてみたら、幕末にイギリス人から「curry」を教わった日本人が、ご飯と一緒に食べるものなんだから「rice」を付けておこうとなって、ライスカレーって呼ぶようになったらしい。今はカレーのメニューも増えたので、「curry」の前には「beef」や「chicken」などが付く。だから自然にカレーライスと呼ぶようになっていったのかもしれない。


井上靖の随筆に「ほんとうのライスカレー」というのがあって、これは先ほど書いたアンソロジーのなかにも収録されている。娘がカレーのいろいろな作り方を覚えてきて上等なカレーライスを作ってくれるのだけれど、それがどんなに美味しくてもライスカレーではあり得ないと著者はいう。幼少時代に祖母の作ってくれたものだけがライスカレーであって、それ以外のものはライスカレーの偽物でカレーライスにすぎないのだと。ライスカレーかカレーライスか、両者を思い出によって区別する井上靖のこだわり、なんとなくわかるような気がする。祖父も含め、この時代の人たちにとっての食生活には、ぼくらの想像を超えた深い思い入れがあるのだろう。「うまいとかうまくないとかいうようなことには無関係に、食べることができるから食べた」という時代の思い出を食べものとライスカレーでまとめたこの小品、経験してもいないのにほんのり懐かしく感じられ、住んだこともない天城山麓に郷愁を覚えてしまう。


たかがカレー、されどカレー。