ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

はみだしものでかまわない。

 あまりにあれこれありすぎて、何をどうすればよいのかよく分からない、そんな時期がしばらく続いていた。雷雨のような数ヶ月だったけれど、決っして乗り越えようとはおもわなかった。そんなときは、そんなときにしかできないことを考えたり、そんなときだからこそ出合える本を読んだりするに限る。というよりも、そんなふうにしかできないのだから仕方がない。やり過ごすでもなく、乗り越えるでもなく、いつもと同じように行動する。もちろん晴れの日に比べれば、些かの思い切りが必要にはなるけれど、躊躇はしない。いつだって雷雨決行なのだ。

 そんな雷雨のなか、歴史家・渡辺京二さんと、津田塾大学・三砂ちづるゼミの学生さんたちによるセッションを記録した『女子学生、渡辺京二に会いに行く』(2014年 文春文庫)という本を読んだ。生きた言葉で語られる、生きた思想書。雷雨のなかで読むのに、うってつけの本だった。

《みんなが相互扶助できることが望ましい。(中略)社会全体の中でお互い助け合って生きていくという、そういうあり方を作ることが必要だと思うんです。(中略)小さなつながりの場所を作るといいと思うんですね。(中略)たとえば喫茶店を兼ねた小さな本屋みたいなのを仲間の力で何人かで出資して、作るということだけでも、なかなかたいしたことなんです。障害者問題があるとすれば障害者の人にもそこに遊びに来てもらう。自分の一生の中で、今日は暇だけど何しようかなというときに、うん、あそこに遊びに行こう、あそこに遊びに行ったら、誰々と会えるんじゃないかなと、そう思える場所があるということ自体がすばらしいんです。》(「はみだしものでかまわない」/渡辺京二 著『女子学生、渡辺京二に会いに行く』)  

 昨年の十一月で東京ベンチがクローズし、ぼくはいま、障がい者の就労支援に携わっている。古書肆スクラムという古本屋として、この事業を進めていくつもりだ。ベンチのことは残念だったけれど、あの場所でやろうとおもっていたことも、こうして新しく始めたことも、根幹は何も変わっていない。もっと云えば、あいおい文庫の頃から何ひとつ変わってはいない。むしろ一歩ずつ着実に前へと進んでいるという気がしている。それでもやっぱり、誰かに迷惑をかけたり、がっかりさせたり、打ちのめされたりしていると、じぶんは一体なにをしてきて何処へ向かおうとしているのか、時折わからなくなる。そんな時にすっと背中を押してくれるのが渡辺さんの言葉だった。

 小さなつながりの場所のことは、このブログのなかにも書いてきたし、耳を傾けてくれるひとにはいつも同じように話をし続けてきた。それは特別に真新しいことではないし、そういった場所は街のなかにぽつりぽつりと出来てきている。ただ少しだけ違うとすれば、それを福祉という枠の中で、教育とか、行政とか、管理というものから飛び出すようなスタイルで街のなかに作りたい、というところだろうか。はみだしものでもかまわない。それはまだ終わっていないし、ベンチだってまだ終わったわけではない。このブログの名前にも付けた、世界一ちいさな鳥、ハチドリ(Hummingbird)のように、ちいさな力にもまだまだやれることはあると信じて、これからも羽ばたき続けていきたいとおもっている。

《自分は何をしようと思っていたのか、ということだけは忘れなければいいんじゃないでしょうかね。》(はみだしものでかまわない)

女子学生、渡辺京二に会いに行く (文春文庫)

女子学生、渡辺京二に会いに行く (文春文庫)