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ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

多謝。

 新規事業の立上げも含め、あれこれ考えなくてはいけないことが多すぎて、ここのところあまり本が読めていない。読めても、短くて平易なものをつまむようにして、というのが精一杯。時間がないわけではないのだけれど(時間がなくても読書はするので)、なんとなく気持ちに余裕がもてない。同じようなことを過去にも何度か書いた記憶があるので、人生のうちにはそういう時期が幾度となく用意されているものなのかもしれない。

 さて、いつもならここから本のことを書きはじめるのだけれど(書こうとおもって書きはじめたのだけれど)、今回はどうにも気になって仕方がないことがあるのでそのことを。

 先にも書いた新規事業のことで、ぼくは親しくさせていただいている方たちに、直接だったり間接的だったり、いろいろな形で支援の協力をお願いしている。それなのにこんなことをいうのは矛盾するのかもしれないけれど、ぼくはDJ心(ひとになにかを伝えたい気持ちのこと)が人一倍旺盛なくせに、営業やビジネス的な支援協力をお願いしたりするのが大の苦手なのだ。なぜかといえば、一つに社会人としてのマナーみたいなものが著しく欠如しているのだとおもう。一つに普段は図々しいくせに、肝心なところで気後れしてしまうから。一つに情熱とロックンロールはあるものの、人見知りでじぶんに自信がないから。そして何より、気を遣うのも遣われるのもイヤだから。はっきりいって、どうしようもない。どうしようもない人だということは、とっくにじぶんでもわかっている。じぶんのやっていることが確かなことだとおもえれば違うのかもしれないけれど、そもそもそういう確かさみたいなものを持ち合わせたことがない。そんなぼくがこうした仕事を選んで携わっているというのは、いったいどうしてなのだろう。時おりわからなくなる。

 なんでわざわざそんなことをここに書くのかといえば、ひょっとしたら、ぼくはとても失礼なことをしているのではないかと気になってきたのだ。確かめる術も常識もないので、もし唐突にご連絡させていただいたことで不快なおもいをさせてしまった方がいらっしゃいましたら、本当にごめんなさい。心よりお詫び申し上げます。

 そんな申し訳なさと同時に、深い感謝の気持ちがたくさん生まれたことも書いておきたい。

 先日、ひさしぶりの友人たちと酒を飲んだ。ひさしぶりの大切なその席で、ぼくは相変わらずの熱弁をくだくだしくふるってしまった。そんな空気の読めないぼくの言葉に、彼らはちゃんと耳を傾けてくれた。それだけでなく、重い本をわざわざ持ってきて、さり気なく差し出してくれた友人、その翌日「本を送ったから」とメールをくれた友人、遠く離れたところに住む友人や活動に興味をもってくれた方々から届くメッセージと本の山、クラウドファンディングを通しての支援。

 今さらながら、ひとの優しさや大切さを改めて感じている。じぶんだったら同じことができただろうか、どうやってその気持ちに応えていけばよいのか、自問自答と深い感謝の毎日を過ごしている。

 いただいたご支援を必ずカタチにできるように、この先もずっと走り続けていきたい。お金はリアルな体力でもあるので、結果によっては出遅れや休み休みな走り方になってしまうかもしれないけれど、それでもゴールに向かって走り続けようとはおもっている。

 息切れしたとき、ぼくはきっとこの数日間のことを思い出すだろうとおもう。多謝。

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