ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

九勝六敗。

 きょうは休日出勤をしたあとで、午後から末っ子さんとぶらぶら散歩をした。彼女と散歩をしていると、普段なら全く気にもとめないような、見過ごしてしまいがちな小さなあれこれにピントが合わせられる。それは、土筆であったり、かたちのよい石であったり、たんぽぽの綿毛であったり、すべすべした枝であったり、てんとう虫のカップルであったりする。それらをしあわせそうに見つめる彼女につられて、ぼくもいちいちしあわせを感じてしまう。そうか、もう春なんだよなあ、そんな当たり前なことすらも、なんだかとてもうれしかった。夕方からは連れ合いと選挙に行き、晩飯の買い物をしてから酒を飲み、少しだけ本を読んだ。

 買ってからずっと積みっぱなしになっていた、伊集院静の「無頼のススメ」をパラパラと読んだ。あいかわらずな感じがとてもいい。好き嫌いのはっきり分かれるこの作家の書くものは、この作家が書いたものだから、とおもって読むようにしている。バーボンはスコッチではなく、あくまでもバーボンなのだから。

色川さんには、「ギャンブルは九勝六敗を狙え」という有名な言葉があって、その裏には、ギャンブルに逆転勝はまずありえないという意味がこめられています。(中略)ギャンブルでも何でも人それぞれ違いますが、自分のフォームをしっかり作らないかぎり、勝負事には勝てません。自分のフォームとは、不意に空から落ちてくるものでもなければ、誰かが与えてくれるものでもない。失敗を繰り返し、人に笑われたり、あきれられたりしながら少しずつ自分でこしらえていくしかないものです。(『無頼のススメ』伊集院静 著/「自分のフォームで流れを読む」2015年1月 新潮社)

 「九勝六敗を狙え」は、色川武大の「うらおもて人生録」(1987年11月 新潮社)にも出てくる有名な言葉だけれど、著者の言葉も加えられたこの言葉を改めて読み返してみて、 たしかにそのとおりかもしれないなと、しばらく考えてしまった。

 これを人生(仕事)に置き換えてみるとき、もちろんそれはギャンブルではないし、勝ち負けでもないのだけれど、失敗を繰り返し、人に笑われたり、あきれられたりしながら少しずつ自分でこしらえていくもの、というのは当てはまるのではないかとおもう。けっきょくのところ、自分のフォーム(ぼくはロックと呼んでいる)はあっても、こしらえ続けていく強さ(ぼくはロールと呼んでいる)をもたなくては、人生というか、自分自身に勝つことはできない。失敗と挫折を繰り返したとしても、へこたれずにロックンロールし続けていけば、ロックを先行させてロールし続けられたとしたら、次の勝機だって見えてくるものなのかもしれない。

 いつなにが起こるかわからない一回こっきりの人生のなかで、じぶんのロックを見失ってしまったら、その先はない。目の前で起こったことだけに一喜一憂していては、たしかにそこにあったはずのロックは霞んでしまう。運や流れもあるけれど、ロールし続けていく強さを磨くことこそが最大の武器になるのだと、最近そうおもっている。それは「今を生きる」ということであり、その今を知るための努力を惜しまないということが、強さを磨くということになるのだとおもう。

 その結果が九勝六敗だったとすれば、それは文句なしの人生だったといえるのではないだろうか。いや、そうでありたい。

無頼のススメ (新潮新書)

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