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ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

絶望のガム。

 ガムと呼ばれる絶望を踏んだ。植え込みの周りにならぶ大きな石や、縁石の角など、あちらこちらで払拭を試みてはみたけれど、まったくだめだった。道端にしゃがみこんで、木の枝でほじくってもみたけれど、ぜんぜんとれない。やればやるほどに気が重くなる。

 きょうは、ひさしぶりの友人と神保町で待ち合わせ、一緒に昼メシを食べた。東京堂に寄って買い忘れていた本を買い、さぼうるで珈琲を飲んでから友人と別れた。電車のなかで買ったばかりの本をパラパラとめくり、家に帰るまでに読み終えることのできそうな短めの文章を探す。

ふと、小さい頃団地の外階段で階段が屈曲している小さな角に背中を預けて本を読んでいたのが好きだったことに気づく。私の書斎の幸せは、あの小さな角の空間にある。(「小さな角の空間よ、再び」/井田真木子 著『井田真木子 著作撰集 第2集』2015年3月 里山社)

  辞書で「書斎」を引いてみると、本を読んだり、書き物をしたり、研究をしたりするための部屋とある。何かを調べたり、仕事をしたり、書き物をしたりするのには確かに書斎がよい。けれども、本を読むのにはあまり適していないようにおもう。これはぼくに限って、ということになるのかもしれないけれど、じぶんのぐるりを本に囲まれた環境では気が散って本が読めないのだ。ふと、いま読んでいる本から目を上げたとき、本の背が並んでいると、ついついそちらに手が伸びてしまう。あの部分を読み返したい、どんな本だったかな、読もうとおもってまだ読めていなかった、こんな本うちにあったっけ、そんなことをえんえんとくり返してしまう。まったく集中できない。図書館でも然り。

 ぼくが本を読むときに好きな場所はトイレのなか。あのせまい空間に身を置くと、もりもりと集中力が湧いてくる。電車のなかで読むのも好きだけれど、たいていすぐに眠くなってしまう。なので、ぐいぐい読むにはやっぱりトイレが好ましい。そんなことを考えながら、電車を降りてからも歩き読みをしていたところ、冒頭の絶望に陥落した。

 それにしても、この著作撰集はたまらなくよい。清田さん(里山社)の言葉を借りれば、「井田真木子という強烈な個性をもった女性」の遺した作品をこういうカタチで存分に味わえるしあわせをつくづくおもい、ときに流れに抗うことの必要性というものをあらためて考えさせられた。じぶんの立ち位置の甘さを、身体のまん真ん中でずしりと感じた。

 木の枝を植え込みに向かって放り投げ、アスファルトの重さを靴底に感じながら、ぼくは絶望の淵から希望へと向かって歩きだした。

井田真木子 著作撰集 第2集

井田真木子 著作撰集 第2集