ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

好きなものを見つける。

 息子が野球をはじめて、ちょうど4ヶ月になる。親に似てダラダラとした生活を好む子だったのだけれど、野球をはじめてからは、いくぶんまともなリズムで生活を送れるようになった。

 じぶんから「どうしてもやりたい」と頼んできただけあって、早朝からの練習にも、まる一日のきびしい練習にも文句をいわず、汗と涙と泥にまみれてグラウンドから元気に帰ってくる。その真っ黒になった顔は、とても眩しい。

 きのうの夕方、急に買い忘れていた本があったことを思い出し、気だるい身体にムチ打って、家から少し離れた書店まで目当ての本をもとめ猛スピードで自転車をこいだ。パンパンになった太ももの上に載っているその本は、山田太一さんのエッセイ・コレクション『S先生の言葉』(河出書房新社)である。ぼくはそれほど熱心な山田太一ファンというわけでもないのだけれど、何冊かのエッセイ集といっしょに『ふぞろいの林檎たちへ』(岩波ブックレット)という手放せない愛読書を書棚のいちばんよいところに差していて、いつでも手に取れるようにしているくらいにはファンである。いつかまとめて読んでみたいとおもっていたところにこの随筆集が企画されたので、編集された清田さんにお聞きしてからずっと楽しみにしていた。

 どんな状況で育とうと物事や他人に深い関心を抱いたり想像力が豊かだったりする人間はいるという気がする。それだって幼児体験や遺伝やカルシウムの摂取量で説明してしまえるという人もいるかもしれないが、多少は意志でも獲得できる資質だと思いたい。(中略)傍目にはくだらなく思えるものでもいいから、深く好きになることだと思う。そういうことで、どれだけ魂みたいなものが育つか分からないと思う。(中略)なにか一つ、自分が本当に好きなものを発見することだと思う。なければ無理にでもつくって、それに集中することだと思う。心から好きなもの好きなことがなにもないというのは、はずかしいことなんじゃないかと思う。(「好きなものを見つけよう」山田太一著/『S先生の言葉』2015年10月 河出書房新社)

 好きなものがあるということは、それだけで幸せなことだとおもう。なにもないことがはずかしいことなのかどうかはわからないけれど、そういう人生がおそろしくつまらないものになるだろうという想像はつく。

 ぼくの好きなことといえば、あくまでも実際の生活を中心においた上で世界のことを考えたい、知りたい、そのために本を読むということである。本を読みながらせっせと抜き書きをし、まずはじぶんの生活に役立つであろうとおもわれる小さなヒントを集めていく。ひとつの文章がいくつも集まってまとまった思考へ、一冊の本から数冊の本へという具合につながっていく広がりは、少しずつじぶんの世界も広がっていくような気がしてうれしくなる。

 どんなことであれ、たとえそれが他人には決して理解できないようなことであったとしても、心から好きだとおもえるなにかを見つけ没頭できるということは、他の何にも代え難いよろこびであり、またじぶんのなかに広がりを見つけるための唯一の手段であるといってもいいだろうとおもう。いまは野球やダンスに没頭しているうちの子どもたちだけれど、これから先、まだまだ知らない多くの物事や他人との関わりをもっていくなかで、また別の「好き」を見つけることになるだろうし、またそうであってほしいとおもう。

 きのうから降り続いている雨のせいで、予定していた低学年の試合が中止となった。しょんぼりしているのかとおもえば、「気」を溜められるからいいのだといってよろこんで素振りをしている。三連休のあすも試合が組まれているので、なんとかそこでその溜めた「気」を発散してもらいたいものだ。

 結果はどうであれ、好きなことを見つけて一所懸命に取り組んでいる息子を誇りにおもう。

S先生の言葉 (河出文庫)

S先生の言葉 (河出文庫)