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ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

尾崎一雄の癖。

 この時期になると、持病のぜんそくがひどい。寒さと乾燥と花粉にやられる。朝からゲホゲホ、昼間もゲホゲホ、夜中もゲホゲホ、身体の休まる暇がない。そこへもってきて古本のホコリがまた悪い。黒っぽい本は特に悪い。職場でゲホゲホ、書斎でゲホゲホ、業者の市場でゲホゲホ、身体の休まる暇がない。が、本に囲まれていると心は安まる。身体が休まらなくても、心が安まればなんとか生きていられる。

 さて、ぼくはいま社会福祉事業をおこないながら古本屋を営むという、二足のわらじを履いての旅のさなかにあるのだけれど、おかげさまでどうにかこうにかやっと一年になる。太陽にも北風にも出合い、縁あるたくさんの人たちにも出会った。はじまったばかりで、まだまだ先は長いのだけれど、学ぶことばかりの連続で飽きることがない。刺激的でおもしろくて仕方がないのだけれど、二足のわらじを履いている以上は、どちらかがこわれても旅はつづけられなくなる。これは身をもってわかっていることで、中途半端な状態であればたちまちのうちに大けがをすることになるのだ。

 尾崎一雄は滅多に弱音を吐かないが、一昨年「竹の會」のときこんな愚痴をこぼした。

 「實にやっかいなんだ、僕は。原稿を書く段になると、その前に先づ、僕は押入のなかを片づける。さうしなくつちや、どうも氣がすまないんだ。箪笥のなかも片づける。意味ないことなんだけれど、自分で片づけなくつちや氣がすまない。その手間が大變だ。いつだつてさうなんだ。まるで厄介至極な癖なんだ。」(「尾崎一雄」井伏鱒二 著/『梅花帖 尾崎一雄作品集 月報5』昭和28年9月 池田書店)

  コンパクトで読みやすい、池田書店から出ている尾崎一雄の作品集を一巻から順番に読み返している。尾崎一雄が面白いというのは当たり前のことだけれど、月報に寄せられた、そうそうたる人たちによる文章もこれまた面白い。ていねいに月報ばかりを抜き出して読んでいたら、上に引いた井伏鱒二の思い出ばなしに膝を打った。

 尾崎一雄の厄介至極な癖というのは、当たり前に誰でもやることなんだとおもっていた。だって、ぼく自身がいつだってそうなのだから。二足のわらじを履き、目の前にやらねばならぬ仕事が差し迫っているにも関わらず、そういうときにかぎって今やらなくても困らないであろう別の仕事に気がいってしまう。

 これについて井伏鱒二は、「潔癖症の致すところとはいへ何か斎戒沐浴でもして原稿用紙に向かふといった感じ」なのではないかといっているけれど、その感じがよくわかる。それは現実逃避だよ、などとおもわれてしまいがちだけれど、それをやることで(むしろやらないと)集中して向き合えない類いの仕事というのは確かにあるのだ。本当にこれは厄介至極で、この癖のせいでいつだって切羽詰まったことになる。他人に任せればいいようなものだけれど、それでは気がすまないのだから仕方がない。ぼくのばあいは潔癖症ではないけれど、それでもどこか病んでいるのだろうなあとは自覚している。

 いずれにしても、この癖のせいで中途半端なことをしてしまい、築き上げた大切なものをこわしてしまわないように気をつけたい。ちなみに、いつだってこの日記を書く前には、かならず書棚の整理(入れ替えなど)をしてからでないと気がすまない。厄介至極である。

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