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ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

闘病戦隊ガンカンジャー。

 秘密にしていたのだけれど、闘病戦隊ガンカンジャーとなってから、もうちょっとで3ヶ月になる。せっかく幼少期からずっとあこがれていた戦隊モノの主人公になることができたのに(決して望んだわけではなく、あくまでもそれは晴天の霹靂な変身だったのだけれど)、何者とも闘ってはいないというところで一般のヒーローとは異なり、派手さがないため甚だ面白くない。病と闘うつもりはさらさらないので、しいて敵をあげるとすれば、それはこれまで生きてきた自分自身であり、まいにち向き合って対峙し続けていることがある意味においては闘いである。大切な人との過ごし方、残された時間の過ごし方、生と死との向き合い方、これまでのじぶんが意識することなくスルーしていた事柄を、ガンカンジャーとなったことではじめて意識して向き合えるようになった。変身そのものは面白くもなんともないけれど、結果的によかったとおもって喜んでいる。

 ガンカンジャーになってから1ヶ月くらいが経過した頃、ぼくは連れ合いと一緒にドクターからの予後宣告を受けた。連れ合いは泣きじゃくっていたけれど、ぼくは冷静に「ついにこの日が来たんだな」と、せまい個室の斜め上くらいからじぶんや取り巻く人たちを見下ろしながらこれからのことを考えていた。

 小さい頃から、人はいつか「還るもの」だとおもっていた。じぶんの身体は着ているだけで(ウルトラマンみたいな感じで)、中身の感じているじぶんは別の存在だとおもっていたので、いつかはこれを脱いで何処かへ還るのだろうなというのが当たり前の感覚だった。近しい人にこのことを伝えたいとおもい、「じぶんの中で見たり感じたりしている、この中身の人が本当のじぶんだよね。いつかこれを脱いで何処かに行けるのかな?」などといっては不思議がられた。やがて成長し、これが世間一般ではあまり通用しない話なのだと読めるようになってからは、やたらめったら他人にこの話をしないようになった。なので死という概念は、「こわいこと」でも「よくないこと」でもなく、(あまり他人には理解されないことだけれど)ずっと「還るタイミング」なのだとおもってきた。しごく当たり前の感覚として。

 一日でも長く生きる。これはガンカンジャーに与えられた重大な任務であり、愛と平和をまもるための使命なのである。また、死は「遠ざけるもの」であり、「よくないこと」としてドクターや仲間たちと共通の認識を持ち、辛苦の果てに敵を壊滅させることが最大の目標とされなくてはならないのである。しかし、実のところ当の本人にはそんなつもりは毛頭なく、いかにして還るまでのあいだ闘わずして、がんばらずしてラクに生きることができるのか、そんなことばかり考えているのである。それなら生きていたくはないのかというと、そんなことはない。望んでくれる限り家族のために、とりわけ連れ合いのために生きたい、いつだって別れは淋しいに決まっているのだから、逝くのは先延ばしにしたい。それがぼくにとっての「生きたい」なのだ。

   じぶんのためにはがんばれないことも、誰かのためにならがんばれる。連れ合いのためにもう少しだけ生きたい。そしてヒーローは、今日も闘いつづけるのである。(つづく)

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