ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

ガンカンジャーの決断。

 10月の半ばから現在に至るまで、ガンカンジャーとなってから2回目の入院をしている。

 吞みすぎたわけでもないのに特定の言葉のロレツがまわらず、いつもより少しだけふらつくような気がしたので主治医に相談をした。すぐにMRIを撮り、眉をひそめて画像をチェックする。小脳への転移が見つかった。進行が速く、すぐに治療を開始しないと予断を許さない状況ということもあって、即日緊急入院をする運びとなった。この日は天気もよかったので、少し歩いて帰りに美味しい蕎麦でも食べようかと話していた矢先の出来事であった。

 腫瘍の転移している場所に放射線を当てるという治療を計8回行い、経過は順調だった。はずなのに、ある日とつぜん鈍器でぶん殴られたみたいな頭痛と吐き気と目眩におそわれ、まったく動けなくなるという朝がやってきた。会話も腕一本動かすのもしんどい。じぶんの殻にこもり、ただただこの悪い夢が過ぎ去ってくれることだけをひたすらに願った。薬や治療のあれこれをかえても、なかなか状況はかわらない。病院の白い世界に在ると、ずっとあった強い意志も失われ、幾度となく「このまま逝くのかな」そんな気になった。実際、黄疸もひどく、主治医からみてもそれくらい状態は悪かったため、もう退院は難しいのではないかといわれていた。

 ところがある日、まるで雲間から力強い陽光が差し込むように全身にエネルギーがみなぎり、悪い夢のほとんどが瞬く間に消え去った。なにが功を奏したのかはわからないけれど、休日であってもあれこれ手を尽くしてくれる主治医に深く感謝し、なんでもない朝がまたやってきてくれたことに、ぼくは深く感謝をした。

 そんなこんながあっての昨日の午後、ぼくと主治医と連れ合いとの三人で、今後の治療方針についてということで、それぞれのなかにある意志決定を確認しあった。

 治療方針とはいっても、もはや治療の術はない。やれることはやったのだ。やった感も満足感もある。あとは、どう楽しく生きて、どこでどう最期を迎えたいのか、その意志確認となる。とはいえ、病院とは違い、在宅での生活は不便だし不安定だ。原則的にはもう病院には戻らないという意味であり、危急時の救急搬送もしない。そしてなにより、連れ合いにかかる負担は並大抵のことではなくなる。これからどんどん肉体的にも精神的にも弱っていくであろうぼくと一日中向き合わなくてはならなくなるのだ。いちばん近くにいるぶんだけ辛いこともこわいことも多いだろう。そんなことを考えていると、医師からの問いかけに対し、連れ合いは開口一番こう答えていた。

 「ぜったいに連れて帰ります。無理とか大変とか不安定なんてことはどうだっていいんです。わたしが連れて帰ります。そのための準備もします」

 その言葉を聞いた瞬間、ぼくの目には涙があふれた。医師は大きく何度かうなづいたあと、こう続けた。ご主人はどうされたいですか?

 「妻と一緒に帰ります」

 たったこれだけのやりとりに、ぼくはこれまで生きてきたことの意味のすべてを見つけた。生きるということは素晴らしい出逢いの瞬間待ちである。と同時に、そこには別れも喪失もあり、自らの病や老いも伴う。また君を探すよ。ありがとう。

 雲間からの陽光は、神々しいほどの力強さで、まだこちらへと向かって差し込んでいた。(つづく)

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