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ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

ガンカンジャーの決断。

 10月の半ばから現在に至るまで、ガンカンジャーとなってから2回目の入院をしている。

 吞みすぎたわけでもないのに特定の言葉のロレツがまわらず、いつもより少しだけふらつくような気がしたので主治医に相談をした。すぐにMRIを撮り、眉をひそめて画像をチェックする。小脳への転移が見つかった。進行が速く、すぐに治療を開始しないと予断を許さない状況ということもあって、即日緊急入院をする運びとなった。この日は天気もよかったので、少し歩いて帰りに美味しい蕎麦でも食べようかと話していた矢先の出来事であった。

 腫瘍の転移している場所に放射線を当てるという治療を計8回行い、経過は順調だった。はずなのに、ある日とつぜん鈍器でぶん殴られたみたいな頭痛と吐き気と目眩におそわれ、まったく動けなくなるという朝がやってきた。会話も腕一本動かすのもしんどい。じぶんの殻にこもり、ただただこの悪い夢が過ぎ去ってくれることだけをひたすらに願った。薬や治療のあれこれをかえても、なかなか状況はかわらない。病院の白い世界に在ると、ずっとあった強い意志も失われ、幾度となく「このまま逝くのかな」そんな気になった。実際、黄疸もひどく、主治医からみてもそれくらい状態は悪かったため、もう退院は難しいのではないかといわれていた。

 ところがある日、まるで雲間から力強い陽光が差し込むように全身にエネルギーがみなぎり、悪い夢のほとんどが瞬く間に消え去った。なにが功を奏したのかはわからないけれど、休日であってもあれこれ手を尽くしてくれる主治医に深く感謝し、なんでもない朝がまたやってきてくれたことに、ぼくは深く感謝をした。

 そんなこんながあっての昨日の午後、ぼくと主治医と連れ合いとの三人で、今後の治療方針についてということで、それぞれのなかにある意志決定を確認しあった。

 治療方針とはいっても、もはや治療の術はない。やれることはやったのだ。やった感も満足感もある。あとは、どう楽しく生きて、どこでどう最期を迎えたいのか、その意志確認となる。とはいえ、病院とは違い、在宅での生活は不便だし不安定だ。原則的にはもう病院には戻らないという意味であり、危急時の救急搬送もしない。そしてなにより、連れ合いにかかる負担は並大抵のことではなくなる。これからどんどん肉体的にも精神的にも弱っていくであろうぼくと一日中向き合わなくてはならなくなるのだ。いちばん近くにいるぶんだけ辛いこともこわいことも多いだろう。そんなことを考えていると、医師からの問いかけに対し、連れ合いは開口一番こう答えていた。

 「ぜったいに連れて帰ります。無理とか大変とか不安定なんてことはどうだっていいんです。わたしが連れて帰ります。そのための準備もします」

 その言葉を聞いた瞬間、ぼくの目には涙があふれた。医師は大きく何度かうなづいたあと、こう続けた。ご主人はどうされたいですか?

 「妻と一緒に帰ります」

 たったこれだけのやりとりに、ぼくはこれまで生きてきたことの意味のすべてを見つけた。生きるということは素晴らしい出逢いの瞬間待ちである。と同時に、そこには別れも喪失もあり、自らの病や老いも伴う。また君を探すよ。ありがとう。

 雲間からの陽光は、神々しいほどの力強さで、まだこちらへと向かって差し込んでいた。(つづく)

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オーバー・フェンス。

 先日、調子がよかったので、もう何年ぶりなのかもわからないくらい久しぶりに連れ合いと二人で新宿まで映画を観に行った。映画のタイトルは『オーバー・フェンス』。大好きな作家、佐藤泰志の小説を原作とした映画で、この作品が映画化されることを知ってからずっとずっと心待ちにしていたのだ。『海炭市叙景』『そこのみにて光輝く』に続く函館三部作の最終章で、同じ作家の作品が相次いで映画化されるという奇跡だけでも魂が揺さぶられるのに、メガフォンをとったのが山下敦弘監督(『どんてん生活』や『リアリズムの宿』が好き)ということで、当日にはもう思いがこらえきれなかった。

  映画の『オーバー・フェンス』では、主人公の白岩(オダギリジョー)が惹かれていく彼女・聡(蒼井優)の人物描写に広がりがあり、小説では描かれていない新たな内面もグーッと掘り下げて描かれている。また、白岩が聡に惹かれていく過程をふくらませたことで、「フェンス」がより具体的なものとしてイメージできるようになっており、オリジナルな脚本が功を奏しているようにおもう。聡がいてこその映画『オーバー・フェンス』となっている点では、小説とはまた違った物語として楽しむことができる。

   「空っぽな男」を演じるオダギリジョーの豊かさに若干の不満は残ったものの(映画的にはそのくらいがちょうどいいのかもしれないけれど)、蒼井優の演じる「ぶっ壊れた女」がともかく素晴らしく、とくに鳥たちの動きを真似るいくつかのシーン(求愛の舞)には心を奪われた。笑って、泣いて、思いを馳せて。総じて、ぼくにとっては期待を上回る素敵な映画だった。

 佐藤泰志の小説にはいつも佐藤泰志が出てくる。と、ぼくは思っている。いつだってギリギリを抱えた登場人物たちが、あっちこっちでもがいている。彼だったり、彼女だったり、僕だったりするギリギリな佐藤泰志は、息苦しさを感じる箱庭のようなものの中で、恋をしたり、酔っ払ったり、暴れたり、泳いだりしながらもがいている。いくらもがいても、その先に進むことができない。ここではないどこかを求め、あのフェンスを越えたいと願う。

 僕には見えた。外野のずっと向こう、まばゆい光を受けたフェンスが。それは何ヶ月か、何年かたたなければ手に触れることもできないほど遠く、高く、真新しくそびえたつ、フェンスだった。どうすればそこまでたどり着くことができるのか見当もつかないほど、遠い幻のフェンスだった。(中略)僕自身の力で越えなければならないものに向かって、力をみなぎらせる。僕はバットを振り抜いた。(「オーバー・フェンス」佐藤泰志 著/『黄金の服』平成元年9月 河出書房新社

  ぼくは今年、佐藤泰志が自ら命を絶った年齢となった。直接に彼を知らないぼくが、小説の中に出てくる彼を知ってから20年以上が経つ。この何年かのあいだに、ぼくは彼の見たであろう「まばゆい光を受けたフェンス。どうすればそこまでたどり着くことができるのか見当もつかないほど、遠い幻のフェンス」をリアルに感じることができるようになった。フェンスにたどり着くことはできただろうか?できたとおもう。手に触れることはできただろうか?できたとおもう。フェンスを越えることはできただろうか?できたとおもう。でもその先には、真新しくそびえたつ別のフェンスがあった。

 あとどのくらい生きられるのだろう。残された時間のなかで、ぼくはバットを振り抜くことができるのだろうか。そんなことを考えてみるのだけれど、それは決して暗い気持ちからくるものではなく、またやってくるであろう明日をイメージするための原動力なのである。

 バットを置くにはまだ早かったんじゃない?同い年となった彼にそういいたい。

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闘病戦隊ガンカンジャー。

 秘密にしていたのだけれど、闘病戦隊ガンカンジャーとなってから、もうちょっとで3ヶ月になる。せっかく幼少期からずっとあこがれていた戦隊モノの主人公になることができたのに(決して望んだわけではなく、あくまでもそれは晴天の霹靂な変身だったのだけれど)、何者とも闘ってはいないというところで一般のヒーローとは異なり、派手さがないため甚だ面白くない。病と闘うつもりはさらさらないので、しいて敵をあげるとすれば、それはこれまで生きてきた自分自身であり、まいにち向き合って対峙し続けていることがある意味においては闘いである。大切な人との過ごし方、残された時間の過ごし方、生と死との向き合い方、これまでのじぶんが意識することなくスルーしていた事柄を、ガンカンジャーとなったことではじめて意識して向き合えるようになった。変身そのものは面白くもなんともないけれど、結果的によかったとおもって喜んでいる。

 ガンカンジャーになってから1ヶ月くらいが経過した頃、ぼくは連れ合いと一緒にドクターからの予後宣告を受けた。連れ合いは泣きじゃくっていたけれど、ぼくは冷静に「ついにこの日が来たんだな」と、せまい個室の斜め上くらいからじぶんや取り巻く人たちを見下ろしながらこれからのことを考えていた。

 小さい頃から、人はいつか「還るもの」だとおもっていた。じぶんの身体は着ているだけで(ウルトラマンみたいな感じで)、中身の感じているじぶんは別の存在だとおもっていたので、いつかはこれを脱いで何処かへ還るのだろうなというのが当たり前の感覚だった。近しい人にこのことを伝えたいとおもい、「じぶんの中で見たり感じたりしている、この中身の人が本当のじぶんだよね。いつかこれを脱いで何処かに行けるのかな?」などといっては不思議がられた。やがて成長し、これが世間一般ではあまり通用しない話なのだと読めるようになってからは、やたらめったら他人にこの話をしないようになった。なので死という概念は、「こわいこと」でも「よくないこと」でもなく、(あまり他人には理解されないことだけれど)ずっと「還るタイミング」なのだとおもってきた。しごく当たり前の感覚として。

 一日でも長く生きる。これはガンカンジャーに与えられた重大な任務であり、愛と平和をまもるための使命なのである。また、死は「遠ざけるもの」であり、「よくないこと」としてドクターや仲間たちと共通の認識を持ち、辛苦の果てに敵を壊滅させることが最大の目標とされなくてはならないのである。しかし、実のところ当の本人にはそんなつもりは毛頭なく、いかにして還るまでのあいだ闘わずして、がんばらずしてラクに生きることができるのか、そんなことばかり考えているのである。それなら生きていたくはないのかというと、そんなことはない。望んでくれる限り家族のために、とりわけ連れ合いのために生きたい、いつだって別れは淋しいに決まっているのだから、逝くのは先延ばしにしたい。それがぼくにとっての「生きたい」なのだ。

   じぶんのためにはがんばれないことも、誰かのためにならがんばれる。連れ合いのためにもう少しだけ生きたい。そしてヒーローは、今日も闘いつづけるのである。(つづく)

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ありのすさび。

   とつぜんな展開なのだけれど、実は闘病生活をはじめて約一ヶ月くらいになる。

   現在、入院しながらの治療をつづけているところなのだけれど、薬の副作用もあって、ご飯がぜんぜんおいしくない。というよりも、見たくもないし、嗅ぎたくもないというくらいにうんざりしている。

   食べることとは、生きることと同義である。食欲が低下してくると、その他の意欲も少しずつ低下してくる。なので、少しでも食べたいとおもえるものをできる限り口に運ぶ努力をしている。なんとなくそこにあるからボリボリ食っていたスナック菓子や、酔っ払った勢いで食っていたラーメンが懐かしい。

   生きるために食べようなんておもうことは、あたりまえな毎日のなかで、いたずらに食べていたころにはほとんどなかった。肉が食いたい、刺身が食いたい、酒の肴がほしい、ただそんなふうにおもって、食いたいものを食いたいように食っていた。でも、おもえばそれこそが生きるエネルギーに満ち溢れている証拠だったのだ。生きているのに慣れて、なおざりに暮らしながら食べていられるというのは、ほんとうに素晴らしい。

   入院中にガッツリ本でも読もうとおもっていたのだけれど、読みたい気持ちがつづかない。この機会にと、トルストイを数冊読み、積ん読のままになっていた「野呂邦暢小説集成」をまとめて2冊読んだ。いい調子だったところで投薬となり、そこから一気に意欲が低下した。食欲とともに。

   はやく食べれるようになりたい。食べたいは、生きたい、読みたい、だ。そんななんでもないようなことを目標にしつつ、ありのすさびを懐かしくおもう。

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障害のある人が働くということ。

 少し前に、千葉県の市川市で「障害のある人が働くということ。それぞれの現場で感じること」というテーマでお話をさせていただく機会を得た。あれこれ考えた末、古書肆スクラムという取り組みをはじめてからの一年間についてお話させていただくことでこのテーマに近づけたらとおもい、以下のようなことを語った。初心を忘れないように、備忘録としてこの日記に残しておきたいとおもう。ちょっと長いけど。 

  いま、私たちの事業所は「まちの古本屋」を運営しています。もちろんB型事業所としてです。文字通り古本屋ですので、本の店頭販売はもちろんのこと、お客様のお宅へうかがっての本の買取り、専門業者が集まる市場への参加、本のクリーニング作業、インターネットでの販売、発送作業、街のブックイベント等の計画及び参加などを行っています。

  なぜ古本屋なのか。答えは簡単です、本が好きだから。つまり、好きなこと=自分の最大の武器を使って、福祉っぽくない福祉事業所づくりをしたいと考えたからです。

 開設当初からの作業内容は、雑誌のふろく作りやチラシ折り等、主に内職仕事を中心としてやってきました。誤解を恐れずにいえば、障害のある人を支える仕事と考えた場合、この内職作業というのがミスマッチなのではないかとずっと思っていました。受注作業の性質上、一点10円にも満たないような単価の低い作業で一定の工賃を生み出さなくてはならないため、差し迫る納期に追われながら、利用者さん個々の現有能力に応じた作業配分や評価もできず、また最終的には職員が残業をして帳尻を合わせるという始末で、細かな生活上のマナーも含めた本来の支援が難しい状況にありました。また、どの利用者さんも精一杯努力して作業にあたっているにもかかわらず、工賃は全国平均を大きく下回っていました。彼らの仕事内容、その市場価値がもっと正当に認められ、また評価してもらうことはできないものか、そのための方法についての試行錯誤は、こんなところからスタートしました。

  個々の現有能力に応じた作業配分や評価というのは、事業そのものにある程度のゆとりをもたなければ簡単なことではありません。たとえば、皆勤賞の利用者Aさんがいたとします。雨の日も風の日も休まずに一所懸命に丸一日通って働いています。しかし、この利用者さんは全力でがんばっても作業ペースは遅い。一方、精神的なことなどが理由で週に2日しか来ることができず、作業時間は短いけれどペースの速いBさんという人がいます。Bさんは、Aさんの倍以上の作業効率で仕事をこなすことができます。さて、この場合のAさん・Bさんの評価というのはどうなるのでしょう。完全出来高であれば、Bさんが倍以上の工賃を貰い、Aさんは半分以下ということになります。出勤率だけならBさんはAさんの半分以下の工賃ということになります。考え方は事業所によってそれぞれだと思いますが、AさんやBさんにとっての100%を、50%以下としか評価できないあり方に私は疑問を持ちました。

  こういったジレンマをなんとか打開できないものか、という想いではじめたのが「古書肆(こしょし)スクラム」という取り組みです。古書肆というのは「古本屋」という意味なのですが、冒頭でもご説明したように、文字通り「まちの古本屋」としての新規事業を昨年の7月から開始いたしました。この「まちの」というのがスクラムのパースペクティブでもあります。

  この取り組みにより、一定の利益を維持しながら、内職仕事も含めた軽作業から中度・高度な作業まで、集団で出来る作業から小グループでの作業まで、障害、体力、精神状態に合わせて短時間から丸一日の作業まで、現段階で可能な限りの働き方、障害のある人にも選択してもらえる環境を整備することができました。野球のピッチャーでいえば、先発や中継ぎ、ワンポイントリリーフというふうに、出来る限り柔軟に受け入れて評価していくという方法です。これは、おそらく企業が障害者雇用を考えるとき、十分取り入れていくことが可能な方法なのではないかと思います。

  先ほどお話した個々の評価という部分については、工賃評価会議というものを設け、全スタッフで数時間話し合いをもちながら、職業支援のプロとして個々の能力に合わせた工賃につながる作業評価を行っています。先月と比べてどうであったか、これから先の可能性を考えてどうか、個にスポットをあてるようにという、相対評価から絶対評価に変わったことで、AさんにもBさんにも自信を持って働いていただける環境の基盤が出来たのではないかとおもっています。試行錯誤を重ね、まだまだこれからですが、周囲の皆様のご理解や多大なるお力添えにより、現在は平均工賃をやっと上回るところまできました。今後もなんとか、意地で維持し、より向上していきたいと思っています。

  障害のあるなしに関わらず、「働く」とはなんだろうと考えてみますと、これは大変むずかしい話でもあります。哲学者や思想家など知の先人たちの言葉をたどってみても、はっきりとした答えを導き出すのはとても難しい。ですが、プラグマティックに私たちの生活の問題も含めて考えてみますと、一つには、蟻やミツバチが緊密な社会を形成するのと同様、働くというのは本能的な傾向に根付いているものだと考えられます。本能以外の点で考えれば、自分探し、自己実現、社会への貢献、衣食住の確保など多種多様な意味があるかと思いますが、誰もが思い当たるのは「メシとカネ」の問題でしょう。つまり、生きていくために必要な物理的な報酬を得るために働いています。

  障害のある人が働くということを考えるとき、この「メシとカネ」の話がすぐに出てくるでしょうか。また、精神的な報酬としてのやりがい、自己実現や社会への貢献の話がすぐに思い浮かぶでしょうか。現状、そもそも限りなく狭い選択肢しかない中で、あきらめ、障害者の仕事を支えていくべき私たちの思考と想像力は止まってしまってはいないでしょうか。想像することをあきらめてしまうことは、障害のある人が働く支援そのものも、どこかであきらめてしまうことになるのだと思います。ですから、いつも想像力を働かせ、ルーティンに埋もれることなく、プロとして試行錯誤を続けていく姿勢が問われているのだと思います。職員一人ひとりが想像力を働かせ、ビジネスとして捉え、仕事をつくる。「メシとカネ」に直結させることのできる職場づくり、この場所以外へのステップアップというものを忘れてはいけないのだと思います。

  スクラムでは、内職仕事を80%くらいカットしました。時間にはゆとりが生まれましたが、さて、みんなと一緒に行う本以外の作業をどうしましょう。気の毒なことに、スタッフは呆然とします。ですが、この時間を使って何を想像し、新たな価値をどう生み出すか、今まで出来なかったことを始めるためのチャンスができたのです。ぬるま湯から出た今、実はここからが本当のスタートなのです。まだまだ暗中模索のまっただなかですが、希望の光の射す場所にようやく近づいてこれたのかなと感じています。

  先ほど申し上げました、スクラムのパースペクティブについてですが、それは「まちの古本屋」というものです。しつこいようですが、この「まちの」という部分にとてもこだわっています。

  私たちは「まちの居場所づくり」として、社会生活上の困難を抱える方の休憩所という取り組みも行っています。

    子育て中の親、高齢者、障がい児・者、その他様々な社会生活上の困難を抱えて生きる方たちにとって、周囲の理解の乏しさや風当たりは決して小さな問題ではありません。小さくてもいいから、その生きづらさを少しずつでも変えていくことのできるような居場所をつくりたい。ここなら安心して足を運ぶことができる、ここからなら出発も再出発もできそう、そうおもってもらえるような、誰にとっても居心地のよい場所を街の中につくりたいという切なる願いから始めました。

  誤解を恐れずにいえば、どうしても福祉施設というのは地域から距離をおいた存在となりがちなように思え、施設を利用される方にとっても、当然、地域から離れた存在とならざるを得ないのではないでしょうか。その理由というのは一つだけではないし、それは社会福祉の辿ってきた歴史的な背景などにも起因します。その辺の話をすると長くなってしまいますのでここでは割愛しますが、とにかくこれからは「今現在は福祉サービスなんて無縁だと思って生活しておられる方」が、気負わずに足を運ぶことのできるような光を施設に当てていかなくてはならないと思っています。

  地域のなかに積極的に入っていって参加し、従来のような福祉的な匂いだけのアプローチで完結させず、同情や義理に頼らない、一般の方々にとって普通に興味の持てるような、関係者以外の人の流れが自然にできる方法でアプローチしていくことが大切なのだとおもいます。快適な職場環境と安心できる支援を基盤に、地域に対して光をつくるアプローチ、地域という光の中に入っていくアプローチ、そのどちらか一方にかたよることなく、バランスよく地域との接点をつくっていくことがこれからの施設づくりにはかかせないと考えています。その第一歩として「古書肆スクラム」をスタートさせました。

 ここで人と人とが出会い、人とのつながりの中で気付いていく。その気付きこそが何かを理解し、じぶんに出来ることは何かと考えるための第一歩に変わっていくのだと信じています。

 言いっぱなしにならないように、いまいちど気をひきしめて、一歩一歩慎重に、丁寧に、確実にすすめていかなくてはいけないなと、改めてじぶんを見つめなおしている。

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日常と不在を見つめて。

 どうも体調がわるい。ことしは厄年(本厄)で、しらべてみると体力低下やホルモンバランスの変化で体調を崩しやすくなるらしい。信じるとか信じないとかいうよりも、ちょうど人生も折り返し地点に入ったことを考えると、たしかにそういうこともあるのかもしれないなとおもう。

 体調はイマイチなのだけれど、あいかわらず縁のチカラに救われて元気はある。古い友人や恩師との再会、本や仕事をとおしての出会い、そこからつながった新たな可能性に胸も躍っている。たのしく躍っていると、たいていのことはなんとかなる。いつだってそうやって、不思議となんとかなっている。

 このあいだの土曜日に、アテネ・フランセ文化センターで映画を観てきた。里山社の単行本刊行記念『特集上映 佐藤真の不在を見つめて』で、二十年ぶりくらいに『阿賀に生きる』を観たのだけれど、空っぽの缶詰みたいな二十代と現在とでは感じ方もぜんぜん違っていて、たぶん今いちばん観たかった映画だったんだなということに映画が終わってから気づいた。

 佐藤真監督とは、二十代の頃に仕事を通じてお会いしたことがあって、しばらくそこで寝泊まりしながら撮影をしていた監督の姿をおもいだした。あれから二十年近く経って、里山社の清田さんを通じてまた佐藤真という人につながったことを感慨深くおもう。

 いまだったら聞きたいこともたくさんあるのだけれど、その頃のぼくは遠巻きに観察することくらいがせいぜいだったので、お酒の席や車中で一緒になる機会もあったのにおもいだせることはあまりない。それでも、ドキュメンタリー映画という仕方で市井のひとの日常性を切り裂いて、その奥にあるものを見てしまおうとする無気味さみたいなものを当時から感じていて、そういう人がじぶんの日常にちかいところで生きているということをはじめて経験し、とても困惑したことは憶えている。

 生きるとはなんだろう。生きるということは日常のくり返しなのだけれど、その日常性をうまく切り裂くことができれば生きることの本質も見えてくるものなのかもしれない。ただ、日常性を切り裂くというのはそんなに簡単なことではないし、日常性から外れてしまえばそれは非日常である。ぼくは映画について語るほど映画を知らないのだけれど、みせるために必要な非日常と、日常性のなかに潜むものを抽出していく作業で「生きる」を伝えようとするのだとしたら、映画を撮るということも日常であり生きる手段である以上、これは苛酷な戦いだなとおもう。

 映画を見終えてから、ぼくはそこにある苦悩や区切りのようなものをつけるまでの過程を知りたくなった。いまのじぶんにとって必要な何かのようにおもえて。まだ読んでいないのだけれど、『日常と不在を見つめて』(2016年3月 里山社)をまず読んでみてから、佐藤監督の書いたものを少しずつ読んでみようとおもっている。映画も観よう。いまとなっては、それ以外に耳を傾けるための方法は永遠に失われてしまったから。

 これから少しずつあたたかくなってくるし、体調もまたよくなってくるに違いない。そうしたら、撮影した場所を歩いてみるのもいいだろう。ロケ地でもあった思い出の場所にもまた足を運びたい。

 また何かの縁によって、よりいっそう胸が躍っている。

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尾崎一雄の癖。

 この時期になると、持病のぜんそくがひどい。寒さと乾燥と花粉にやられる。朝からゲホゲホ、昼間もゲホゲホ、夜中もゲホゲホ、身体の休まる暇がない。そこへもってきて古本のホコリがまた悪い。黒っぽい本は特に悪い。職場でゲホゲホ、書斎でゲホゲホ、業者の市場でゲホゲホ、身体の休まる暇がない。が、本に囲まれていると心は安まる。身体が休まらなくても、心が安まればなんとか生きていられる。

 さて、ぼくはいま社会福祉事業をおこないながら古本屋を営むという、二足のわらじを履いての旅のさなかにあるのだけれど、おかげさまでどうにかこうにかやっと一年になる。太陽にも北風にも出合い、縁あるたくさんの人たちにも出会った。はじまったばかりで、まだまだ先は長いのだけれど、学ぶことばかりの連続で飽きることがない。刺激的でおもしろくて仕方がないのだけれど、二足のわらじを履いている以上は、どちらかがこわれても旅はつづけられなくなる。これは身をもってわかっていることで、中途半端な状態であればたちまちのうちに大けがをすることになるのだ。

 尾崎一雄は滅多に弱音を吐かないが、一昨年「竹の會」のときこんな愚痴をこぼした。

 「實にやっかいなんだ、僕は。原稿を書く段になると、その前に先づ、僕は押入のなかを片づける。さうしなくつちや、どうも氣がすまないんだ。箪笥のなかも片づける。意味ないことなんだけれど、自分で片づけなくつちや氣がすまない。その手間が大變だ。いつだつてさうなんだ。まるで厄介至極な癖なんだ。」(「尾崎一雄」井伏鱒二 著/『梅花帖 尾崎一雄作品集 月報5』昭和28年9月 池田書店)

  コンパクトで読みやすい、池田書店から出ている尾崎一雄の作品集を一巻から順番に読み返している。尾崎一雄が面白いというのは当たり前のことだけれど、月報に寄せられた、そうそうたる人たちによる文章もこれまた面白い。ていねいに月報ばかりを抜き出して読んでいたら、上に引いた井伏鱒二の思い出ばなしに膝を打った。

 尾崎一雄の厄介至極な癖というのは、当たり前に誰でもやることなんだとおもっていた。だって、ぼく自身がいつだってそうなのだから。二足のわらじを履き、目の前にやらねばならぬ仕事が差し迫っているにも関わらず、そういうときにかぎって今やらなくても困らないであろう別の仕事に気がいってしまう。

 これについて井伏鱒二は、「潔癖症の致すところとはいへ何か斎戒沐浴でもして原稿用紙に向かふといった感じ」なのではないかといっているけれど、その感じがよくわかる。それは現実逃避だよ、などとおもわれてしまいがちだけれど、それをやることで(むしろやらないと)集中して向き合えない類いの仕事というのは確かにあるのだ。本当にこれは厄介至極で、この癖のせいでいつだって切羽詰まったことになる。他人に任せればいいようなものだけれど、それでは気がすまないのだから仕方がない。ぼくのばあいは潔癖症ではないけれど、それでもどこか病んでいるのだろうなあとは自覚している。

 いずれにしても、この癖のせいで中途半端なことをしてしまい、築き上げた大切なものをこわしてしまわないように気をつけたい。ちなみに、いつだってこの日記を書く前には、かならず書棚の整理(入れ替えなど)をしてからでないと気がすまない。厄介至極である。

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