ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

2011-05-01から1ヶ月間の記事一覧

職人さんのこと。

職人の書いた本、または職人について書かれた本などが好きでよく読んでいる。 中でも手仕事の技や美風などについて書かれたものが好きで、語り継がれる「伝統」の妙味がひしひしと伝わるものがいい。でも一番の魅力は、なんといってもそこに描きだされる、「…

ほっとけない。

とにかく、ほっとけない。 ほっときゃいいのに、ほっとけない。 それでも、最近はずいぶんとほっとけるようになった。 ぐっとガンバって「関係ないじゃん」とほっておく。 でも、ぶすぶすと心の奥の方でくすぶる。 自分にもできることはなにかないかと探す。…

帰る場所。

ぼくには帰る場所がある。 それは、とても仕合せなこと。 どんなに辛いことがあっても 両手をひろげて迎え入れてくれる場所がある。 安心して旅に出ることができるのは 帰ることのできる場所があるから。 本を読むことも 日記をつけることも 笑顔でいること…

心に降る雪。

心にも雪は降る。 白い雪片が視界を悪くし、体温を下げる。 それは惑いによって生みだされる幻覚かなにかなのかもしれない。 野呂邦暢の『狙撃手(「海辺の広い庭」昭和48年 文藝春秋社)』という小品を読むと、最後の場面でこの雪が降る。いや、ぼくが勝…

一縷の川。

時おりわけもなく、沁みるというよりも打たれるような小説が読みたくなる。 渇いて、乾いて、なにもかもが物足りない夜に読みたい小説。 後頭部を鈍器で殴られたような感覚になる小説。 無抵抗に打たれるがままの小説。 刻の打つのも忘れる小説…… ぼくにとっ…

本のはし。

出久根さんの著書『仕合せまんまる(1999年 中央公論新社)』を読んでいたら、「虫とぬし」というエッセイに当たり思わず顔が綻びた。 本の虫とは、とにかく本が好きで片時も本を手放さずに読み耽っている人のことであろう。もう一方の本のぬしとは、恐…

居場所。

居場所というのはとても大切で、あるかないかで人の生き様は大きく変わる。 生きとし生けるものは、居場所を求める。 確かな手応えとして居場所を感じることができなければ、生きていることに絶望すら覚えることがある。 最後の最期まで、人は居場所を求める…

ひねもすのたりのたりかな。

ぼーっとしながら暢気にふらりふらりと古本屋さんへ行く。 均一台に気になる本があり、何気なく手にとってパラパラとめくる。 おもしろい言葉を見つけ、そのまま少し読んでみる。 そのまま置いては帰れない。 よし、買おう。 ぼくは、そんなふうな散歩をよく…

行きつけ。

独り者の頃は行きつけの店を持っていたが、家族ができてからというもの、すっかり「行きつけ」とは縁遠くなってしまった。ぼくの場合、基本的に家が一番好きで、一番ほっと心の休まるところだったりするのだが、男たるものやっぱり「行きつけ」の一つや二つ…

食べちゃいたいような本。

「食べちゃいたいような小説がある」と云ったのは、小説家の田辺聖子である。このキモチはホントによく分かる。好きで好きで、いとおしくて、抱きしめて寝て、それでもまだ足らないから食べちゃいたい小説というのは確かにある。ぼくの場合、文字どおり本当…

掌。

子どもの掌をみていると、とても幸せな気持ちになる。 ぎゅうっとつかむ 小さな掌。 めいっぱいの掌。 まだ ぼくの半分もない小さな掌。 だけどその小さな掌には、大きな可能性をつかむ力がある。 まいにち まいにち 小さな掌でたくさんの発見をつかむ。 今…

親子の絆❤は絵本から。

あいおい文庫のある中央区佃は、長屋のある古い町並みと新しい超高層マンション群の混在する、古くて新しい魅力的な町。そんなステキな町で、子どもからお年寄りまでみんなが一緒になって楽しめるようなイベントをあいおい文庫で出来ないものかとずっと考え…

あの頃。

薄暗い毎日にも、だいぶん慣れてきた。 いや、むしろ今の薄暗い毎日のほうが心地好いとさえ感じる。 雑誌のコラムなどを読んでいても、3・11以降の暗い生活について書かれたものはかなり多い。人生の先輩方は、この暗さが懐かしいらしい。ぼくの物心がつ…

はじめての一箱古本市。

2011年4月30日『第12回 一箱古本市』に家族全員で出店しちゃいました。 ぼく、連れ合い、長女5歳、長男4歳、次女7ヶ月…総勢5人が店主となって、TOKYOBIKE no OFFICEさんの前で一箱の宇宙を展開した。 この場所はとても静かな、いわゆる「閑静な…