ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

辞書のはなし。

先日、あいおい文庫に「広辞苑」の寄贈がありまして…今回は「辞書」のはなし。


僕は、『角川 国語辞典』(昭和44年初版)を長らく愛用している。
コイツは辞書ながらも凛としていて、「黒っぽい本」としての貫禄までもち合わせている。なぜか「日本文学史」が巻末の付録についているというのも魅力で、いわゆる文豪だけでなくシブい作家や著作も登場するのが乙。国語辞典としての能力には若干の疑問があるものの(本来はそこが大事なのだけれど…)、もう手放せない。


僕にとっての辞書とは、いつも机の片隅にちょこんと座っている(時には枕元にも座っていたりする)「頼もしくて愛おしい戀人」みたいな存在だ。本当に何度も助けてもらっているし、コイツがいなければ今の僕はなかっただろうと真剣に思う。電子辞書やiPhoneなど、コンパクトで手軽な「辞書もどき」も便利だけれど、やっぱり僕は「紙の辞書」であるコイツがいいのだ。


紙の辞書のよさは、なんといってもその「手間」にある。
分厚いわりにペラペラの紙。そこにビッシリと詰め込まれた言葉の羅列。目が眩む。クラクラしながらもなんとか見出しを参考に目的の言葉を探さなくてはならないのだけれど、僕はあまり辞書をひくのが上手ではないため、目的の言葉に辿り着くまでにずいぶんと遠回りをしてしまう。実に手間がかかる…なのに、これがスコブル愉しいのだ。
たとえば、「そぞろ」という言葉を探すとする。すると、「そぞろ」に辿り着く前に「そこまめ」などという曖昧模糊とした言葉を発見したりする。いったいそれはどんな豆なのかと思って読んでみると、足の裏のまめのことだったりする。なるほどね…と思いながら「そこぬけ」などもついでに調べてみる。ふむふむ、これはひらがなの方が間抜けでぴったりくる言葉だなどと感心してみたりもする。ふだん何気なく使っている言葉も、辞書でひくとめっぽうおもしろい。その辺のおもしろさについては、夏石鈴子さんの「新解さんの読み方」や、赤瀬川原平さんの「新解さんの謎」に詳しく、これを読めば「よりディープな辞書の世界」が味わえる。ちなみに「新解さん」とは「新明解国語辞典」を人格化した愛称で、独自のおもしろさをもったユニークな辞書のこと。もちろん僕も持っているのだけれど、妙なつぶやきが多くてかなり笑える。

新解さんの謎 (文春文庫)

新解さんの謎 (文春文庫)

うちの長女は辞書が大好きで、文字を読むことができない頃からパラパラと項をめくって遊んでいる。このパラパラ感がたまらなく好きなようで、薄皮のような古びた紙の“日向くささ”と共に運ばれる“小さな風”をふんわりと愉しんでいる。粋人なのだ。また、たまに出てくる「挿絵」も魅力的なようで(僕も小さい頃は辞書の挿絵が好きだった)、パラパラしていて挿絵を発見したりすると、ありんこを追ってありの巣を見つけようとするように注意深くゆっくりと引き返す。ようやく目的の箇所に辿り着くと、しげしげと眺めてから今度は物語をつくりはじめる。妙にリアルで淋しげな椋鳥の挿絵を愛でることからはじまり、ついには大海へと羽ばたく壮大な冒険譚へと展開していく。たっぷり15分くらいは語ってくれたのだけれど、後半まさかの思わぬ展開に大人の僕も唸ってしまった…。
辞書は、意外に子どもの感性を養うためにうってつけの材料なのかもしれない。


どうでしょう、埃を掃って久しぶりに開いてみませんか?