ちょっと。
友人が亡くなったという知らせを受けた。
ついこの間まで、とっても元気だったのに、この世の中からいなくなる時は、いつだってあっという間だ。
こういったことは今までに何度も経験してきている。
それでもやっぱり淋しい気持ちになる。
泪が溢れる。
決っして慣れるということはない。
自ら命を絶った人。
大往生で天寿を全うした人。
短い生涯をバイクで突っ走って、今も向こうで走り続けている友人。
身体の中で大暴れする病気と正々堂々戦い、最期まで諦めずに旅立って逝った友人。
なんで、みんないなくなってしまったのだろう?
友人たちと呑みながら、そんな話をした。
どんな死に方をしたとしても、それが幸か不幸かなんて判断は誰にもできない。
それでも人は、死から何かを学ばなくてはならない。ちょっぴりでもいい、何かを学ぶべきなんだと思う。
生まれてすぐに死んでいく子どもや、愛する人を残して無念のままに死にいく人、自らの命を絶つ以外に決着をつけられなかった人の死を、「運命」なんていう簡単な一言で片付けたくはない。
いや、たとえそれが運命であったとしても、記憶の中にとどめて生かしたい。
少しだけ…ほんのちょっとだけ、立ち止まって深呼吸。
なにか気づいたことはないだろうか…ちっぽけなぼくにもできること。
ちょっとの気づきによって変わる「分岐点」のようなものが、人生のうちにはあるような気がする。
ちょっと優しい言葉をかけるだけでいい。
ちょっと手を握るだけでいい。
ちょっと耳を傾けるだけでいい。
ちょっと周りを見回すだけでいい。
ちょっと抱きしめるだけでいい。
ちょっと…。
ぼくの記憶の中で生き続ける命たちが、いつも「ちょっと」と呼びかけてくる。