一縷の川。
時おりわけもなく、沁みるというよりも打たれるような小説が読みたくなる。
渇いて、乾いて、なにもかもが物足りない夜に読みたい小説。
後頭部を鈍器で殴られたような感覚になる小説。
無抵抗に打たれるがままの小説。
刻の打つのも忘れる小説……
ぼくにとって、そんな打たれるような小説といえば、たとえばこんなのがある。
直井潔の著書『一縷の川(昭和52年 新潮社)』は、読むたびに100%打たれる極北の小説である。
四肢が拘縮するという廃疾をかかえた著者が、激痛と絶望にぐらぐらと揺れながらも、師と仰ぐ志賀直哉への敬慕の情を支えとして地に根をはって生き抜いていく自伝的小説。こんなふうに書くと自身の障害と辛苦ばかりを克明に描いた「押し売り的な小説」だと思われてしまうかもしれないが、むしろそちらはほどほどな感じに書かれていて、それよりも心情の葛藤のほうに重きをおいた私小説的な面白さが勝っている。
暗夜行路を諳んじられるほど志賀直哉に傾倒する著者の心の動きと感謝の念は一種すさまじいものがある。「一縷の川」という題名にも、そんな師への深い愛情がよく表されているように思う。この小説が人の心を打つ真の理由は、そんな深い愛情から生まれる「正直さ」にあると云える。著者は不自由な身体であるがために細く限られた世界で暮らさざるを得ないのだが、その限られた世界観の中で独自の心情を正直に吐露している様が見事である。その吐露された正直な言葉の一つひとつは、深く深く読み手の心を揺さぶり打ち、心を洗う。これは本当にいい小説なので、もっともっと広く読まれてほしい。個人的には文庫化してほしいくらいだ。どうでしょう?
生きるというのは不自由なことだ
障害者とか健常者とか
そんなことと生きるってことの不自由さとは全く関係ない
どう生きたいのか
どう死にたいのか
一縷の川を泳ぐすべての者よ
あなたは何を諳んじるのか