ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

一人じゃないということ。

あいおい文庫に届いた本は、すでに棚に並んでいる本とのバランスをみながら入れ替えている。この作業をしていると、「へえ」とか「ほう」とか小さく声を出しながら、まったく読んだことのない初対面の本ばかりに出逢える面白さで心おどる。もちろん書店へ行けば初対面の本なんてたくさんあるのだけれど、普段なら棚の前を素通りしてしまうような本を実際に手にとってみる機会というのはこんなときじゃないとなかなかない。一冊ずつ手に取って眺めていると、気にもかけていなかった本に少しずつ興味がわいてきたりするから不思議だ。出逢う場所やその方法が違うだけで、本の気配や雰囲気もぜんぜん違ったものになる。
そんな普段ならまず手にとらないような本、なのになんとなく気になって手に取ってみたという本の中に、「マザー・テレサ 愛の言葉」はあった。なんとなくは知っていたけれど「知りたい」と思ったことはなかった。何気なく適当に頁を開いてみると、こんなことが書いてあった。


《人は不合理、非論理、利己的です。
気にすることなく、人を愛しなさい。
あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。
気にすることなく、善を行いなさい。
目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう。
気にすることなく、やり遂げなさい。
善い行ないをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。
気にすることなく、し続けなさい。
あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう。
気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい。
あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう。
気にすることなく、作り続けなさい。
助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。
気にすることなく、助け続けなさい。
あなたの中の最良のものを、世に与えなさい。けり返されるかもしれません。
でも、気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。》
マザー・テレサ「あなたの中の最良のものを」)


ちょこっと目を通しただけでビリビリと電気のようなシビレが身体を走りぬけた。おもわず「あゝ」と低く唸ってかたまった。そして、幼い頃から現在に至るまでの様々な出来事を思い起こした。ぼくだけじゃなく、たぶんこれを読んでまったくなにも思い当たらないという人はいないのではないかと思う。きっとこの人も邪魔されて、傷つけられ、壊され、けり返されてきたのだろうと想像する。
生きていると、なにかと壁を感じて行き詰まる。くさくさしてあきらめようかと思ったりもする。ちょうどそんな時にこの言葉に出逢い、ふっと軽くなった。
ここには与え続けたらどうなるのかということは書かれていない。たぶん、「与え続けたらどうなるか」ということは大した問題ではないんだろうと思う。最良のものを与え続けることをどこかで誰かが知っていてくれているような「一人じゃないんだ」という安心感みたいなものを感じられることが大切なんだと思う。一人の時間が好きだといっても、やっぱり孤独は怖い。一人ぽっちは淋しい。人の中に生きているからこその一人なのだとつくづく思う。
この本にはこんなことも書いてあったので、最後に引用して終わりとしたい。


《この世で最大の不幸は、
戦争や貧困などではありません。
人から見放され、
「自分は誰からも必要とされていない」
と感じる事なのです。》

マザー・テレサ 愛のことば

マザー・テレサ 愛のことば