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ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

何気ない大事。

今月は本当によく庄野潤三を読んだ。先日もこのブログに書いたのだけれど、この人の書く小説は読むだけでほっこりと仕合せなキモチになれる作品ばかりなので、今月は特にそういうものを心が欲していたということだろうか。頭で考えてみる限りではよく分からないのだけれど、きっとそういうことなのだろうと思う。

そんななつめが、ある朝、会社へ行く父といっしょに家を出かけた時、歩きながらこういった。
「お父ちゃん、会社へ行くの好き?」
すると矢牧はびっくりして、それから、
「きらい」
というと、なつめはいかにもうれしそうに声を立てて笑った。
(中略)
何日かたって、夜、会社から帰って来た矢牧が、裸になって畳の上に横になっているそばへ来て、なつめがいった。
「お父ちゃん。この間、会社へ行くのきらいっていっていたね」
そういってなつめは、またも愉快そうに笑った。
ザボンの花(近代生活社/1956年)』

未読の庄野作品もたくさんあるのだけれど、今月は「陽気なクラウン・オフィス・ロウ(文藝春秋/1984年)」「せきれい(文藝春秋/1998年)」「浮き燈台(新潮社/1961年)」「道(新潮社/1962年)」「おもちゃ屋(河出書房新社/1974年)」「プールサイド小景(みすず書房/1955年)」「結婚(河出書房/1955年)」「自分の羽根(講談社/1968年)」「文学交遊録(新潮社/1995年)」などの小説や随筆や紀行文などをランダムに読んだ。そしてやっぱり「ザボンの花」を読んでいるときが、いちばんほっこりして仕合せなキモチになれた。
この小説は、なんでもないような日常にある仕合せの風景が切り取られ、それをパッチワークのようにつなぎ合わせているのだけれど、どこから読んでも瑞々しい子どもの息遣いが聞こえてくる。そこへ親子の息のぴったりさ具合が加わってたまらない魅力となっている。上に引いたのも、そんな子どもとお父ちゃんの仕合せな風景の断編。なんでもないような会話なのだけれど、子どもが健気に社会習慣的な約束を疑ってみる様子がよく出ていておもしろい。お父ちゃんが会社に行くことをどんなふうに思っているのか確認することで、なつめは自分の中にあるモヤモヤを安心に変える。なつめの感じているモヤモヤがいつしかイヤイヤに変わったとしても、きっとまたお父ちゃんに正面から相談できるのだろうなあ。仮にもしここでお父ちゃんが「大好きだよ。なつめはきらいなのか?」と返したとしたら、なつめの心もちはもっと違うものになっていたはず。こういう何気ないやりとりの中に、この作家の「らしさ」みたいなものがあって、だからぼくはいつだって安心してほっこり仕合せなキモチになれるのだ。
うちの娘もなつめの年齢に近づいてきた。さて、どうなることやら…