ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

気分の悪いはなし。

宿酔いで気分が悪い。若い頃は深酔いすると朝っぱらから(ヘタをすれば夜中からずっと)気分が悪かったものだけれど、最近は筋肉痛のように時差攻撃をしかけられるようになった。そんなわけで昼過ぎくらいからどうにも気分が悪くて困っている。


さて、気分が悪いといえば、気分の悪くなるようなことを平気で吐いて捨てることが当たり前に行われてしまう世の中になったようにおもう。たぶんむかしよりも、という意味で。たとえばブログ。ぼく自身もこんなふうにブログを書いているわけだけれど、書きたいことを書きたいように書いたら、そうめんどうな作業もなく簡単にポンッと世の中に投げだすことができてしまう。これはとても便利。
ぼくは自分のキモチを整理するためにこのブログを書いているのだけれど、もちろんどこかの誰かに(時には心に決めた人に)読んでもらいたいとおもっているからこそ世の中に投げだしているのでもある。だから書くときにはとても気を遣う。こんな駄文を読んでくれる優しい人なんていくらもいないとはいえ、たった一人でも読んでくれる人がいる限りは気をつけるべきだとおもっている。それでも知らないどこかで誰かを傷つけてしまうことだってあるのかもしれない。なんどもなんども点検し、時には投げだしてしまったあとで読み直したり書き直したりもする。


ブログだけじゃない。ここ数年で、ツイッターフェイスブックなどのSNSを利用して、だれでも気軽に簡単に、おもったことをちょちょいと書いて世の中に投げだすことができるようになった。欲しかったピンポイントな情報を手っ取り早く収集でき、今まではおもっただけで消えていってしまった「自分の中の小さな発見」を、写真付きでつぶやいて残すことができる。たいへん便利でおもしろい。だけどその反面、たいへん不快でつまらない。それは、気分の悪くなるようなことを平気で吐いて捨てられる、まるで公衆便所のような使われ方を一部でされているから。いや、本当は公衆便所だって「誰もがきもちよく使えるように心がけましょう」なのだ。それなのに、人の気持ちなどおかまいなしに(逆にかまい過ぎるがために)自分の一方的な感覚だけで吐き捨てられている言葉たちをたまに見かける。吐き捨てられたかわいそうな言葉たちは、時に刃物よりも鋭くなって人の心を切りつけ傷つける。


リットンじゃないけれど、改めて言葉のもつチカラとかコワサみたいなことを強く感じたりして、使う人や使い方によってこんなに姿カタチを変えるすごい武器はないな、なんておもう。なんかなあ…。


≪The pen is mightier than the sword.≫